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人生という壮大な実験

いつから、私は決まったルートを一定の速度で回り続ける、おもちゃの列車のようになっていたのだろうか。
仕事や趣味が変わって多少行動範囲が変わったとしても、同じループの中にいるのでは?映画<哀れなるものたち>を観て、自分に問いかけた。
年代によって捉え方が全く違うんだろうな、アラフィフには折り返し地点で振り返り、先に希望を寄せるきっかけになる作品であると感じた。

先日観た、THE PERFECT DAYSの主人公のように、日常の中にある美しさに目を向ける心の豊かさ、とても素敵だと思う。

ただ、時々全て投げ出してまるで違う生き方にベットしたくなる。誰にもある衝動ではないか。そんな時、私達の理性は(あるいは家族、友人)は、
「せっかく続けてきたんだから我慢して続けたら?今からまた別の道は大変よ」と諌めるものだ。

主人公は、天才外科医に蘇生された身体は大人、脳は赤ちゃんで新たに生を受けた美しい女性。
新たな事に毎日トライして、体験して、学んでいく。隔離した環境で大切にされているので、防御本能が全く無いまま育ち、反抗期が来たのを気に世界を見る旅に出る。
もし赤ちゃんが、子供、少女から大人に成長していく話だったら、おてんばな子の家出の話となるだろう。
外見が大人である事でその無垢さが際立ち、周りの人を魅了していく。彼女の冒険と成長が、実験の検証になるわけだが、好奇心旺盛で全ての物に恐れずトライする事が総じて見知らぬ地で無一文になる。しかし一切の悲壮感もなく、彼女は今ある環境の中での学びをぐんぐん吸収していく。

さて、これは無謀で破天荒の人の話なのだろうか?

かつて格闘家だった須藤元気さんが、スーツを着てダンスをした時は本当にびっくりしたが、
「人生は自分という主人公の演目を演じるものである」
という人生観を話していて、今も心に残っている。
人生は自分という器を使った壮大な実験であるのでは、と改めて感じた。

私達は赤ちゃんの時、思った事は率直に口にして、嫌いな物、不快な物は遠ざけ、心のままに行動をしてたが、次第に群れで行動する社会性を身につけて摩擦なく生きていく術を身につけていく。昔は、隣村の人に殺されるというような事はよくある死因だったから遺伝子レベルで染みついてるんだろう。
でも、無垢な好奇心のまま傷つく事を恐れず、チャレンジしていったら、世界はどんなに違って見えるだろう。


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