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ジェイラボオープンワークショップ(座談会)#02 準備記事「Think difficult ! を6年間読んできた私視点で」

今回のオープンワークショップ(座談会)は所長のnote記事「Think difficult !」について扱う。概要や記事の背景は所長に任せるとして、私視点での「Think difficult !」ととの関わりを書いていく。

この記事に出会ったのは6年前くらいだった。今はnote記事として掲載されているがそれより前から記事自体は別サイトで公開されていた(補足するとその時はまだ「Think difficult !Final」までは完結はしていなかった)なのでジェイラボのコミュニティができる前から記事自体は読んでいたので(コミュニティは今5年目)6年前くらいから読み始めたと記憶している。
記事の内容自体は素晴らしいので読んでいない方は是非今からでも読んでいただきたいのだが、前提として私にとって「Think difficult !」は単なる情報群ではない。6年間読んできた体験の中で自身の身体性(身体が持ち得る情報の総体)に紐づいている感覚がある。

切り口を言語から身体へ変えよう。皆さんはブルース・リーをご存知だろうか。截拳道(ジークンドー)という武術、哲学を開発した方でその彼の言葉で私の好きな言葉がある。
それは「Be water, my friend」という言葉だ。この言葉には前段がありそれは下記である。

Empty your mind, be formless. Shapeless, like water. If you put water into a cup, it becomes the cup. You put water into a bottle and it becomes the bottle. You put it in a teapot, it becomes the teapot. Now, water can flow or it can crash. Be water, my friend.
「心を空にしろ、水のように形を捨てて。水をコップに注げばコップになり、ビンに注げばビンに、急須に注げば急須になる。水は流れる事も砕くこともできる。水になれ、友よ」-ブルース・リー

武道は哲学と親和性が高いと思う。武道には「型」がある。哲学の世界でもこれまでたくさんの哲人がいて、彼らの思想や入門書等でそれらを噛み砕いた内容も「型」と言えるのではないだろうか。
しかし武道でも哲学でも「型」を知っているだけではそれはあくまで「知識」であり、それを「習得した」と言えるレベルにするためには時間をかける必要がある。
それにどれくらいの時間がかかるのかは当然個人差があるが、1つ言えることはそれを習得する前と習得した後では身体性の次元でその人に変化が起こっているということだ。

話を「Think difficult !」に戻すと、記事を読むだけではそれはあくまで「知識」として言語情報として知っただけである。つまり「読む」だけでは「読む」ことの先には行けないのだ。

その先に行く方法もオープンワークショップではお話したい。是非皆さんも配信にコメントで参加していただき私のこの記事を「読む」だけではなくオープンワークショップとして「体験」していただきたい。

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