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"プライド"と"自尊心"のバランス

「プライド」と「自尊心」

同じなようで少し違っていて、どちらかが突き抜けていても難しいような

プライドと自尊心の関係性について考えると、暗闇空間にワープしてしまいそうなぐらい、明確な答えがない命題だと思います。


私もたまに外を歩きながら、ぼーっとこのことについて考えてみたりするのですが、

そもそもなぜこの話題なのかというと、この前7/8に放送されたラジオ「ミセスLOCKS!」で、そのお話が出てきたんです。

放送内では、このようにお話しされていて

大森「最近『自尊心むずいな』みたいな。“プライド”と“自尊心”ってめちゃくちゃ紙一重だな、と思っていて。“自負”と“自尊心”...自分を愛おしく尊いと思う気持ちみたいな、自分を大切にしたい自愛の精神みたいなところが、世間的にすごく強まってる傾向にあると思っていて。『ケセラセラ」という楽曲で、『生まれ変わっても私でありたい』みたいなことを歌った我々が言うのは非常に変な話ですけれども。あの根本って僕は『生まれ変わったら“自分”って言えるかわかんないから、“自分”という風に高らかに今ここで歌っておこう』みたいな、その反動がでかいじゃないですか。
でも『今、私は』『俺は』みたいな、自分を承認してくれる何かが外部にないから、自分で自分を認めざるを得ない瞬間があるし、そうでありたいと思っていて。でもそれがいつの間にかプライドになったりとか、自愛になりすぎたりとかして生きていきにくい人とかって、今すごくたくさんいると思うんだけど。(後略)」 

この話を聞いた時に、めちゃくちゃ共感したというか。

「あの人ってプライド高いよね」みたいに使われるときは、どちらかと言うとネガティブな意味のように感じますが、
じゃあ低い方がいいんかっていう話でもなく。

プライドも自尊心もすごく近しいところにある存在・感情だと思いますし、プライドがあるから自尊心も高まって、自尊心があるからプライドもついてきて、みたいな相互関係のようなとこもあると個人的には思います。

特に今はSNSやネットがすごく発達しているので、気軽に投稿したものに予想外の批判がきたりだとか、誰しもその危険性と隣り合わせの状態にある中で

周りから批判を受けやすい、また他人と比べやすくなった今の社会で生き抜くには、自尊心やプライドが大切になってくるのは自明の理だと思います。

でも、そんな自尊心やプライドによって、逆に生きにくくなってしまう、生きづらく感じてしまう障壁も、もちろん存在していると感じます。

自尊心やプライドって、当たり前ですけど一人ひとり違うものですから、これ!っていう絶対的な正解はなく

だからこそ余計に、自分が自分自身と向き合って探していかないといけない、すごく内省的なお話になってくると思います。


私はずっとこの関係性について考えたりもしてきましたが、正直答えなんて見つかるのか?!レベルだし笑
自分の納得する比率を見つけられるのはなかなか簡単なことではないと思います。

でも、自分という存在を大切に想い、ささやかでもいいから自分の持つ素質・才能に少しだけ自信を持って、必要に迫られたら誇ればいいのかなと
基本的には驕ることなく謙虚な姿勢でいれば、大丈夫なのではないかな、なんて思ったりもします。

うん、この命題はきっと誰が考えても難しい!!笑
でももっくんはその先を行っているような気がするので、少しでも追いつけるように自分なりの答えを探り続けたい所存です。笑

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