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#7 信仰に関係なく、大切なのは

12月のある日曜日、わけあって国際短編映画のワンシーンに出演することになった。出演と言っても台詞はないので、いわゆるエキストラ出演ということになる。そして、そののち思いもよらぬ贈りものをいただくことになる。

週末は本当なら、新たな仕事に就いたばかりなので、家でゆっくりしたかったのだが、お付き合いということもあり分厚いダウンジャケットとマフラーを羽織い、急いで首都高を乗り継ぎ都内某所に向かった。

ロケ現場に入り、映画ディレクターをしている友人と挨拶を交わし、程なくしてカットの説明を受けた。わずか数秒のカットだ。そこにメキシコ人監督が私たちに近寄ってきて、流暢な日本語でユーモアを交え、シーンの雰囲気を伝えてくれた。撮影を無事に終え、あとは日本での公開を楽しみに待つだけだと、安堵の気持ちで私たちは帰路についた。そしてその夜、その映画の成功を祈り、心ばかりの寄付をした。

すると数日後、監督から郵便が届いた。そこには母国メキシコの「グアダルーペの聖母」の美しいお守りと香しいロザリオが入っていた。そして直筆で手紙が添えられていて、そこにこう書かれていた。

「信仰に関係なく、大切なのは気持ちですので…」

監督からの手紙

突然のことで少し驚いたのだが、その手紙には確かに日本語でそう書かれていた。監督のいう“信仰に関係なく“という“気持ち“の意味を少し考えてみると、それは「祈り」なのだと気がついた。その祈りは、じつに己の幸福より他者の幸福のことであり、明日の繁栄より遠い未来の繁栄のことなのではないかと直感した。平均的な日本人からすれば、なんと祈りの強度というか次元が高い人なのだろうと感心した。

確かに、ここ数カ月感じたことのひとつに、願望としての未来は、その願望が決断になった時に、未来が動き始めたという気配があった。だとすれば、祈りという行為が人を造り、良き未来を創造するのではないかと、教えられた気がした。そして、それらが届いたのは今日、クリスマスイブのことだった。偶然にも。



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