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#2 意気揚々のち、電車に乗れず

どんな病気でも、かかった人でないとわからない痛みや苦しみがあるというが、まったくその通りである。たとえ家族や友人でさえ、自分の病気のしんどさを理解してくれているとは限らない。

考えてみれば、当の本人でさえ、病気の痛みや苦しみというものを、これまでどの程度理解できていたのだろうか。

意気揚々と仕事していたところに突如として体調を崩し、坂道を転げ落ちるように病の淵に立たされ、ようやっとその痛みや苦しみは耐え難いということに、自分でも気付いたのかもしれない。

どんなことにも言えるけど、やはり当事者にしかわかり得ないことはあるのだ。

病気を患ってから、趣味嗜好が驚くほど変化した。威圧的な人を避けるようになり、対人関係の我慢をやめた。事故や災害、戦争などの報道ニュースからはすっかり目を背けるようになった。趣味のランニングや山登りも心拍が上がる怖さから躊躇するようになった。食事の量は極端に減り、油の多いものは胃が一切受け付けず、アルコールは口にするのを止めた。

体形はすっかり変わり、性格はまるでこれまでの自分ではない別人のようになった。

わたしは電車に乗れなくなった。あの満員電車に押しつぶされながら、毎日決まった時間に出社し、出先での移動や気を遣うコミュニケーションを強いられる状況は、苦痛以外のなにものでもない。わたしにとって会社に行くことは、いわば死地におもむくほどの覚悟と同じなのだ。

決して大袈裟に言っているわけではない。精神的に極度に追い詰められ、自分の弱さや情けなさに嫌気がさし、やがて自分を責めるようになった。否が応でも仕事の在り方を見直さざるを得ないのだ。

外に出るという意味では、車だけは唯一安心して乗れる移動手段となっている。子どもの保育園の送り迎えをしたり、道の空いている深夜にドライブしたり、電話に出てくれそうな仲間に連絡したり会ったりすることで、なんとか気持ちや感情のバランスを保っている。

家族や仲間がいてくれることは、たとえ本音の話ができなかったとしても、その存在だけで助けられていることを実感する。逆に心を許して本音で話ができる相手というのは、案外同じ境遇の人だったりもする。強い共感がそうさせるのかもしれない。

共感するということは、人と人とのつながりを生み、時には強くつながることで不安を緩和してくれる。ファンマーケティングの重要性を、このような形でしみじみ思い知ることになった。

今後どのように考え行動していけばよいのか、藁をもつかむ思いで療養期間を過ごしている。その中で大きな支えになっているのは本だ。本は精神そのものであり、きっと解決のためのヒントをそっと与えてくれると思っている。

病を患ってから読んだ三冊の本をここに紹介したい。

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「乗るのが怖い」長嶋一茂/著
この本は実用書のように使っている。今や芸能界で独特の立ち位置でお茶の間を賑わせている彼が、同じ病を患っていたとは少し意外だった。壮絶な闘病体験を包み隠さず書いていて、彼なりの対処法は参考になるものが多かった。スポーツ界、芸能界など華やかな世界で生きているので、生活環境はサラリーマンとは事情は異なるが、専門医師が出版する本よりよっぽど患者目線、体験者目線で分かりやすく、読みやすい文章で書かれている。

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「いのちの姿」宮本輝/著
この本はサプリメントのように読んでいる。宮本輝といえば「泥の河」「蛍川」「ドナウの旅人」などで有名な芥川賞作家。もともとは広告代理店に勤務するサラリーマンだった。若くして病気と闘い、あの昭和時代の偏見や苦悩に陰で泣きながらサラリーマンを辞め、作家の道に流れ着いた人である。作家ならではの視点で体験記を綴っている。

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「一汁一菜でよいという提案」土井善晴/著
この本はいレシピ本というより哲学書とかイズムかもしれない。食事を通じて、心と身体にとっていただく命のありがたさを一度立ち止まり思いかえさせてくれた。ハレとケの日の食べ物の違い、食事と共に得られる五感の大事さ、食べることそのものの大事さを軽妙な文章で教えてくれる。

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