天の川のほとりで(二)

火曜日、昼休み。


「何かやらかした?」

「違うよ。ちょっとね」

「ちょっとね、かぁ。ふーん」

職員室から戻ったぼくを確認するなり、莉奈はそう言ってぼくに疑いの目を向けた。

僕が手にしている学校名の入った大きな封筒をじっと見つめながら、首をかしげる。


「怪しい」

「怪しくない」


押し問答みたいなやり取りをしていたら、数人の男子からはやし立てられたのでぼくらは口をつぐんだ。


「男子ってすぐからかうんだから。ホント、子ども」

はやし立てたやつらに聞こえるような声でそう言う莉奈に、ぼくは、やめとけよ、と心の中で言う。

ここで声に出して莉奈を擁護してしまったら、やつらの思うつぼでますます手に負えなくなる。

学校とは、そういうところだ。

それからしばらく、意識的に莉奈とは話をしなかった。


帰りの会のときに宿題のプリントが前の席から回ってくると、莉奈はそれと一緒に小さな紙切れをぼくの机の上にそっと置いた。

そこには『私の目は節穴ではない』ときれいな文字で綴られていた。


……バレるのも時間の問題かな。

そう思いながら、昼休みに渡された封筒をランドセルの中にしまう。

あまり追及されたくなくて、ぼくは帰りの会が終わるとそそくさと教室を出た。


玄関を出ると、今日も色とりどりの傘の群れが次々と校門を出ていく。


しまった、朝は雨が降っていなかったから、今日は傘を持ってきていない。

しばらく雨を眺めながら、帰っていく友達に、じゃあな、を繰り返す。

そうして人の流れに区切れがついたところで心を決めた。

走れば大丈夫。何とかなる……はず。

雨はバラバラと強い音を立てて地面に落ちていた。

「直くん。傘ないの?」

「え」


振り返ると、靴箱のところに莉奈が立っていた。

「傘あるの? ないの? どっち?」

少し威圧的な物言いの莉奈に、ぼくは正直に、ない、と言った。

「じゃあ入ってく? 帰り道、途中まで一緒でしょ」

「いいの?」

「まさかこの雨の中、傘なしで帰るつもり?」


何となく誰かに見られたくなくて、ぼくらは靴をもって校舎の北側の端の通用口まで行くと、そこから靴を履いて裏門の方へ向かった。

もう裏門付近には誰もいなかった。

パッと開いた莉奈の水色の傘が、灰色に霞む世界の中で唯一の明るさをもつ。

柄が細く、風にあおられると飛んでいきそうな傘だった。

「貸して」

そう言うとぼくは半ば強引に莉奈の手から傘を奪った。

「え、いい。自分で持つ」

「いいから」

「私の傘」

「知ってる」


強情、という声が聞こえたような気もするけれど、気のせいだということにした。


パシャパシャという足音と、ボツボツという傘を叩く音が不規則に重なっていた。

並んで歩きながら、教室にいるときと少し違う感覚を覚えたのは、時どき肩がぶつかったり、傘の中での距離が近いせいなのかもしれない。

ごめん、いいよ、を繰り返しながらいつもより何となくよそよそしくなってしまう。

「雨、止まないね」

「そうだね」

当たり障りのない会話をいくつか交わしたところで、交差点に出た。

信号がちょうど赤に変わる。


「今日、昼休みに呼ばれたの作文のこと?」

莉奈が急に本題に入ってきたので、心臓が一瞬大きくはね上がった。

「……なんでそう思うの?」

「なんとなく。勘。……というのは嘘で、私も呼ばれたから。中休みに」


えっ、と思わず驚きの声が漏れた。

莉奈も作文のことで呼ばれた?


「私ももらったの。封筒入りの原稿用紙」

「……マジ?」

「マジ」

「なんで?」

「なんで、って……。直くんと同じだからじゃない?」

澄ました顔で莉奈はそう言った。

「ぼくと同じって……」

「あんなの、誰が本当のこと書くのよ」

莉奈の口から、はぁっと深いため息が漏れる。

「夢とか希望とか、自分の胸の中だけにしまっておくのってダメなのかな。人にベラベラ言うの、私は好きになれない。……って作文に書いたら呼び出されたのよ。あと、枚数も少ないから増やせって。それと、直くんもされた? タイムカプセルの話」

「……された」

「ほらね、やっぱり。だから、そういうところもイヤなのよ」

大まかな説明の中に、先生がぼくに言った言葉を重ねる。

莉奈にも同じことを言っていたのか。


信号が青になる。

怒った莉奈を濡らさないよう気を配りながら、ぼくは歩き出す。


「でもさ、親の前で読むんだろ? 書き直さないわけにいかないし、それにタイムカプセルにも入れられるとなると――」


「直くん。最近のタイムカプセルってどんなだか知ってる?」

「最近のタイムカプセル?」

「タイムカプセル業者っていうのがいてね、その業者がみんなのタイムカプセルをまとめて倉庫に保管して、時期が来たらそれぞれの自宅に送ってくれるんだって」

「へぇ、そうなんだ。知らなかった。てか便利だな」

「すごいよね。便利なサービスを考える大人がいるんだねぇ。まぁ何でもベラベラしゃべってくれる先生も便利なサービスといえば便利なサービスだけど」

悪いことを考えているときの莉奈の目は、やけにキラキラと輝いているように見えた。

何か企みがあって先生にそれを尋ねたのだろうことは何となく予測がついた。

「で、それが何?」

「タイムカプセルはさすがに先生も手出しができないでしょ」

「え、どういうこと?」

「タイムカプセルくらい、遊ばせてくれたっていいよね」

莉奈の目がぼくに同意を求めていた。

「……それ、ぼくにも協力しろってこと?」

「ピンポーン」

莉奈がうれしそうに笑って傘の下から雨の中に飛び出す。

雨は、いくぶん小降りになっていた。

「親の前で読まされる嘘ばっかりの作文なんかタイムカプセルに入れたくないじゃない? だから――」

だから?

「せめて、タイムカプセルには別のものを入れるの」

「別のもの?」

そう、と雨をまとった莉奈は笑った。

「何を入れるっていうんだよ」

「お互いに手紙を書かない?」

「お互いに?」

「そう。わたしは10年後の直くんに、直くんは10年後のわたしに。自分に手紙なんて書きづらいじゃない? 他人の方がよっぽどおもしろいこと書けるし、10年後に何が書いてあるかわからないものもらったら絶対おもしろいじゃん。10年後のお互いに手紙を書くの」

莉奈の向こうに見える灰色の雲間から、細く光が射し込んでいた。

雨はまだ降っているけれど、雲は少しずつ動いている。

ぼくらもまた、それと同じ――。

「……それ、バレたりしないかな」

「バレないように協力するんでしょ」

もはやぼくに拒否権などないことが、莉奈の言葉によって証明されてしまった。

「……わかったよ。協力する」

「やったぁぁぁ!!!」

水溜まりの上でピョンピョン跳ねた莉奈の足元に水飛沫が飛ぶ。

「うわ!莉奈!おま……」

そう言いながら、僕の心も少しだけ軽くなっていた。

「よし! そうと決まれば、とりあえず親用作文なんとかしちゃおう!ちょっとやる気出てきた!」

「何だそれ……単純……」

「なんか言った!?」

「……何も言ってません」


分かれ道に差しかかり、ぼくらは二人の計画について念のため再度協力する旨を確認しあった。

「裏切らないでね」

「それ、そっくりそのまま返す。あと……傘、助かった。サンキュ」

痛みや苦しみは、誰かと共有することで半分になる。楽しさや喜びは2倍になる。

いつだったか、何かの本にそう書かれていた。

本心を隠した作文も、秘密の手紙も、一人でやるよりはずっといい。


「だだいま」

リビングを抜け、勉強机のところにたどり着くと、ぼくは原稿用紙の入った封筒を取り出した。


そしてその夜、ぼくは2つの作文を書き上げた。


(続く)


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