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「もうひとつの魔法」
こちらのお話は「満月の夜、君と――」(スカイハイ文庫)の番外編になります。
本編のネタバレが含まれますので、「満月の夜、君と――」をお読みになった上でこちらを読むことをおすすめいたします。
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夢でないことを証明するために、手を伸ばし確かめる。
柔らかな黒髪。なだらかな肩の稜線。そして、私を震わせ惑わせる指。
絡めた指先は、私の手をしっかりと握る。
そのまま沈みこんで重なる胸が、彼の鼓動をダイレクトに伝えてくる。
人の肌の温もりとは、こんなにも温かく優しいものだっただろうか。
「深森」
彼が、私を呼ぶ。
その声に答えようとしながら、声にならない声と吐息が唇から漏れる。
深く、どこまでも深く、彼が私の領域を侵食する。
余裕なんか1つもない私とは対照的に、首元に埋められた彼の唇は小さく笑った気がした。
『現実であるかどうか不安になるのは、まぁ副作用みたいなものです。結果的に私もあなたも禁忌を侵したわけだから。手に入れた幸せが、明日の朝目覚めたら夢だった、なんて普通の人なら漠然と考える程度なんでしょうけど、私たちはそれに近いことを経験してますからね。笑い話では済まない』
『……だから、怖いんです。眠ることが。眠って目覚める瞬間が、何よりも怖い。もしも圭吾とのことが何もかも夢だったら』
『現実であることの確証を手に入れるのは、そう簡単なことではありませんからね。僕が何とかしてあげられればいいんですけど、こればっかりは――』
『まぁそうですよね。……もがいてみます』
『焦ってもどうにかなるものではありませんから、どうか無理なさらず』
『……はい』
首筋にくすぐったさを感じながら身体をよじらせた。
髪と肌と唇が交互に、ときに激しく優しくそこに触れる。
「ここ、落ち着く」
「……こっちは落ち着かないんですけど」
唇が、不意に答えを塞いだ。
目を閉じ、感覚を広げる。
『淋しさや不安を一人で解決しようとするのは限界があります。彼に話してみるのも1つの手段かもしれませんね』
『圭吾には黙っててもらえませんか。これ以上、彼に余計な心配をかけたくないんです』
『……そうですか。わかりました。私でよければまた話し相手になりますので。いつでもお声がけ下さい』
『はい。ありがとうございます』
あふれる気持ちに溺れそうになりながら、必死に息をする。
沈みこんでしまわないように、もがく。
ここで手を離したら、私は永遠に水の上に這い上がれない。
星屑の川に飲み込まれないように、姿を見失わないように。
彼の背中に腕を回す。
『いなくならないで』
心は、叫ぶ。
両親を亡くしたとき。彼と二度、離ればなれになったとき。
誰かとの別れは、避けようのないことだ。
それを『運命だから』と受け入れながらも、本当はずっと淋しかった。
最後には、必ず人は一人になるものだとわかっていても、それでもなお――
「大丈夫。ここにいるよ」
耳元で圭吾がはっきりと、そう言った。
「いなくならないで、って顔に書いてある」
圭吾の大きな手が私の顔を包んだ。
目を逸らせないように、その手は優しく私を留める。
「もうどこにも行かないし、離ればなれになんかならない。だから――」
だから?
「大丈夫だよ」
まるであのとき――私がかつて、彼に魔法をかけたときのように、彼は私をまっすぐに見つめていた。
「魔法をかける。君が、安心して朝を迎えられるための魔法」
あのときの切なさを苦しさを悲しさをもどかしさを、私たちは知っている。
再びつながった日々の中で、どうしたって忘れることなんかできなかった。
痛みは、二人で分け合えばいい。
まるでそう言うかのように、圭吾は言葉の代わりに何度も何度も唇を重ねた。
彼の言葉が、ゆっくりと身体に取り込まれていく。
そうしてそれは静かに、だけど確実に、私を救う魔法になる気がした。
「深森」
少しの間手放していた意識は、再び呼び起こされる。
ぼんやりとした頭で目を凝らすと、部屋の中が青く浮かび上がってきた。
「朝だよ」
そっと開かれたカーテンの向こうに、朝焼けの空が広がっていた。
久しぶりにぐっすり眠れた気がする。
燃えるようなオレンジと淡いピンクが静かに広がっていく空は、ひどくきれいで胸を締めつけた。
肩の上に圭吾の顎がそっと乗る。
「いい匂いがする」
首筋に顔を近づけながら圭吾が言った。
長い指が、髪をつまむ。
もう一方の腕にとらわれたまま、私はそっと圭吾の方を見た。
言葉を発する前に彼の顔が重なる。
「……バカ」
ほんのわずかにできた隙間でそう言うと、圭吾は小さく笑った。
「元気出たみたいでよかった」
それだけいうと、腕の中に私を閉じ込めた。
ゆっくりと、空の色が変わっていく。柔らかく、優しく。
この夜明けの空の色を、私はずっと覚えていよう。
覚えている限り、きっと魔法は解けない。