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【見返しレポート】テレビノーク#22「『原爆の図』がある美術館」

カロクリサイクルの配信番組「テレビノーク」。
NOOKの瀬尾夏美(アーティスト・詩人)と中村大地(劇作家・演出家)をパーソナリティストに、毎回ゲストを招いてテーマにまつわるお話をお聞きしています。
noteではこれまでのアーカイブ配信を見返してレポートをお届けしています。
(レポート担当は宮城にいるNOOKの佐竹です)

今回見返すのは、約半年前、2024年5月25日(土)に配信した#22「《原爆の図》がある美術館」です。
アーカイブ配信のリンクはこちらから👇


#22では、「原爆の図 丸木美術館」の学芸員・岡村幸宣さんをゲストにお迎えしました。


画家の丸木位里と丸木俊のお二人がそもそもどんな方たちで、どのような経緯で《原爆の図》を描くに至り、その絵画がどんなふうに人々の間で共有されてきたのかを、時勢と照らし合わせながら岡村さんにわかりやすく解説していただいています。

出来事に対して絵画というメディアができることという視点も随所に言及されているので、現役美大生や表現のフィールドを拡張する人たちにも、とにかくおすすめしたい回となりました!
今の時代もめまぐるしく出来事が起きてますます不安も募りますが、岡村さんのご活動と、岡村さんからのお話を通して知る丸木夫妻の歩みにとても勇気づけられて、私たちも私たちなりにやっていこう!と元気をもらえます。
《原爆の図》を教科書やどこかで目にしてるけどあまり知る機会がなかったな、という方の入門編にもぴったりです。

《原爆の図》がある美術館


「原爆の図 丸木美術館」の学芸員・岡村幸宣さん

岡村幸宣さんは東京都出身で、2001年より原爆の図丸木美術館の学芸員を務めておられます。丸木位里、丸木俊を中心に社会と芸術表現の関わりについての研究、展覧会企画などを行ってらっしゃいます。『《原爆の図》のある美術館』、『未来へー原爆の図丸木美術館学芸員日誌2011-2016』ほか、著書多数。
原爆の図丸木美術館自体は1967年創立。
岡村さんが丸木美術館へ関わるようになられたのは学芸員実習時代で、位里さんが亡くなられた翌年で俊さんはまだご存命の、ちょうどバトンを受け取って繋いだ時期だった、とのこと。

丸木位里さん(左)、丸木俊さん(右)

最初の学芸員に着任して美術館で過ごされてきた日々のことから《原爆の図》の内容の掘り下げまで、終始やわらかい語りでお話しくださっています。

ここではトークのキーワードを整理してみたいと思います。
まずは作家の丸木位里と丸木俊から。

丸木位里と丸木俊について

・《原爆の図》を描く前、それぞれが持つ作家性と、その違い
 /前衛的な抽象表現を取り入れ、革新の精神を持つ位里さん。土地にある土着的な暮らしに共感を持ち、女性画家の旗振り役も担う俊さん

・20世紀を生きた作家の、折り返し地点で起きた原爆投下
 /時代時代に起こる出来事に呼応し、活動し続ける

・広島と北海道、それぞれの故郷の影響
 /幼少期から人が出入りするコミュニティで育ち、場を開く行為やさまざまな人との交流が自然
↑生活と制作の拠点に、巡回後の《原爆の図》がいつでも見られる美術館を自分たちでつくるひとつの起因

《原爆の図》は、丸木位里・丸木俊夫妻による共同制作。作品が内包する多面性を、さまざまな角度から少しずつ紐解いていただきました。

《原爆の図》の多面性


《原爆の図》について


・最初の第1部が描かれた1950年:
 戦後の世界情勢の大きな変化、朝鮮半島の勃発
 占領下で原爆の記録写真も見せられず表現も検閲されてた時代
 戦争という出来事と記憶を忘れないということだけでなく、当時の時代に抵抗するためにも描かれた

・発表後、すぐに国内外巡回展がはじまる
 核戦争が起こるかという時代に世界で広島を展示する意味、未来を見据えながらの行為
 最初から連作ではなく、巡回展で新たに聞いた事柄を引き受け、後の時代に起こる出来事とも呼応しながら《原爆の図》の連作が続いていく

〈後から来た人の役割として描く〉
・原爆投下の瞬間に丸木夫妻はその場にいない
 数日後駆けつけ、原爆を直接体験した人たちの話に耳を傾けることによって絵が生まれてきた
 戦後の中で戦争によって生きられなかった人の存在を感じながら、生き残った者の応答として、ずっと戦争を描き続ける

その場にいなかった人や生き延びた人の役割という点は、現代で災禍に直面したときに問われる当事者性の問題とも普遍的に結びつく部分ですね。
「直接体験して生き残った人だけが語らなければならないかというとそうではない。後から来た人がそばにいて話を聞く、そこで分けてもらった記憶を忘れずにいる」
死者を想像し弔いたいという思いを一緒に具現化していくことが証言者にとってもある種の救いになるのでは、というやり取りも印象的です。


《原爆の図 第1部》  部分画像

〈人間の群像を描く〉
・原爆投下後のまちではなく、人を主題に描くことを選ぶ:
 体験した人びととその声を残す
 原爆による人間の被害が隠されていることを踏まえて伝える
 戦争の出来事の本質として人間があるのでは?

〈共同制作であること〉
・一人で抱える題材ではないとき、向き合うときのひとつの背負い方
 /ままならぬ他者の筆が入ることで他者の存在を受け入れていく

・広い意味での共同制作
 戦後版画運動と《原爆の図》が描き始められたのは同時期。表現は芸術家だけのものじゃなく、だれもができる双方的な行為に

丸木夫妻が広島で記憶を受け渡されたはじまりや、巡回した先の土地やそこで作品を見た人との対話も、広く共同として内包しているのだなとも思います。

〈絵画によって人々に原爆のイメージを伝えていく〉

・俊さんの人物描写と、位里さんの画面構成による空間づくり
・人間ひとりひとりを美しく描いている(←批判としても言われる):
 被爆した身体をそのまま描くことが人間の尊厳に繋がるか?という非常に難しい問い
 それを見た鑑賞者が出来事への思考を停止してしまう恐れ

亡くなった人たちやその身体を人間として扱うことだったのでは?そこに願いや祈りがこめられる

・絵画は現実を記録として写しとることはできないメディア

・別の場所や時間軸、そこに存在した人たちを同じ画面に入れ込むことができる

1954年のビキニ事件を受けて1955年に描かれた《原爆の図 第8部》には後から広島に来た入市被爆者が描かれていて、画面の左側で丸木夫妻自身もモデルに加わっているとご説明いただきました。

《原爆の図 第8部》 


絵画でできることの話題と並行して、表現だからできることや今美術館でできることについての岡村さんの言及もありました。

「表現は後から来た人でもできるし、後の時代に生まれてきた人も参入可能という意味では開かれているメディアで。50年60年後に生まれてきた人じゃないと見えないものもあるんですよね」
「丸木夫妻は自分たちが生きてる時代の問題に向き合って描いていた。今の時代に起きている問題をどう記憶してどう表現していくかは、私たちが引き受ける問題なんですよね。丸木美術館で今できることとしたら、現代の生きてる作家が時代に反応してつくった作品を発表する場として活かすこと。現代の作家の表現と丸木夫妻が残した作品とが共鳴し合う中で、過去の《原爆の図》を今の時代に読み直す手掛かりも生まれてくるんだろうなと感じています」
今後は学芸員の役割として、《原爆の図》の世界巡回の整理や多様な協働を試みながら読み直しをしていきたい、とも語られていました。

今回トピックがたくさん。民話のエピソードも興味深かったです!


私は美大に通っていた頃と東日本大震災の発生時期が重なるのですが、出来事が起きたことと自分が表現を学んでいること、その二つをうまく接続できなかった経験があり、あの頃丸木夫妻のご活動にちゃんと学んでれば…!と配信を視聴しながら思い出していました。
これからは足踏みしてくよくよする前にこの配信を聞き返します!


次回のテレビノーク


次回のテレビノークは11月27日(水)20:00~生配信。
「心病む人に寄りそう?」をテーマに、精神保健福祉士・介護福祉士の新澤克憲さんをゲストにお迎えします。世田谷で30年近くつづく就労継続支援B型事業所ハーモニーの施設長である新澤さんに、「幻聴妄想かるた」やなど施設での取り組みについてのお話や、今年発売されたご著書「同じ月を見あげて ハーモニーで出会った人たち」など現在の活動についてお聞きします。

生配信のチャット欄でのコメント参加もお待ちしております!

のと部、始動しました!


5月配信のテレビノークでは、冒頭トークで能登初訪問の報告をしていました。
その後、この半年で能登訪問やその報告会なども続きましたが、10月からは「のと部」がStudio04で始動しています。
さまざま関わりしろが広げられる場です。ちょっとでも気になる方がいらっしゃいましたら、ぜひいらしてください!



カロクリサイクルの活動を、今後もどうぞよろしくお願いします!

レポート:佐竹真紀子(美術作家/一般社団法人NOOK)

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