母親の無垢な心に刺される
母親の発する言葉には幸いにも特に深い意味はない、表面上でただ泳いでいるだけのもの。その事実を徐々に気づき始めてはいるが、それでもやはり涙を堪えられない。その発言をするシチュエーションはいつも同じ。だから次の瞬間絶対「その言葉」が飛んでくることは事前に検知できる。なので、私は「その言葉」が飛んでくる前に逃げる。その場から逃げる。「その言葉」が私の心を刺すとわかりやすい症状が出る。顔が赤くなるのだ。その次に居た堪れなくなって涙目になるのだ。その症状を見られることもとてもつらいため、私はとにかく逃げる。そして自分の部屋で誰にも見られないよう心を落ち着かせる。また食卓に戻れるように。そんな回避方法を取っているので、私は家族の食事中に数回自分の部屋と行ったり来たりを繰り返す。怪しまれないようにするのが腕の見せどころ。
そのせいで私は家族と食卓を囲むのが苦手だ。心が刺されると食事どころじゃなくなるからだ。家族全員が揃う食卓はあえて遅く席につくようタイミングをずらし、少しでも食卓を囲む時間を減らすことに注力している。客観的に見ても私は一体何をしてるんだと思うが、それでもまだ母親の無垢な言葉への耐性がついていないから仕方がない。
私が人知れず血だらけになるワードは、「ほんっとうに幼いよね」「全然同い年に見えないよね」「年下の〇〇ちゃんのほうがすごい大人っぽいね」「なんでこんなに幼顔なんだろう」と、幼顔にまつわるもの。時に察している姉がフォローの言葉をかけるが、なんせ母親は無垢な心で言っているため届いていない。思いついたことを言わずにはいられない、母親の無垢な心に、私は血を垂れ流し続けるのだ。
だから私は年の近い女優さんがテレビに出ている時は、母に近づかない、同じ空間にいない。画面の切り替えで不意に映り込んだ場合は、その場を去る。完全に拒否反応だ。食卓では必ずテレビはついているため、いつもドキドキしている。家族との食卓は笑ってしまうほど居心地が悪い。実家暮らしの娘が何を言うかという感じだが、だから私は極力外食をする。少なくとも平日仕事終わりに、その攻撃を食らう心の余地はないから。仕事と母親に心をつぶされぬよう、これからも私は工夫して毎日を生きていく。