ヒントありきの人生
誰かの言葉を聞いて、自分の視界が開ける。本もそう。私が本を読む理由はそこにある。頭の中がぐちゃぐちゃになって、自分自身で整理ができなくなった時、私は本を読む。回避行動。本当は誰かに胸の中の内、頭の中の内を言葉で伝えることのほうがいいことなのかもしれないけど、私の場合は言語化できないことが多々あるので、自分は今一体何に悩んでいて、どうしたいのか、それを本を読むことによって、言葉を読むことによって言語化する上でのヒントを得る。
好きな著名人、女優さんの生き方にはすぐに憧れてしまう。その人の生き方に憧れやすい。その人が発していた言葉に共感するものがあったなら、その瞬間は心が満たされる。そうそう、私も同じって。
「私はこれがしたいんです!これをするためにこういうことをしたいんです!」
そういう考えややりたいことが明確になっていれば、どれだけ楽に生きられるか、仕事ができるかなんて思うことがあるけれど、私はそういう明確な考えを持っていない。明確にやりたいことを伝えられないし、仕事で何がしたいの?と聞かれると本当に困る。自分自身、こういうことがやりたいですではなくて、今やっている仕事で関わっている人たち、その人たちともう少し長くいたい。そんな気持ちが先行して嫌な仕事も乗り越えられる。その場にいる人たちのことを好きになれたら、とりあえずはギリギリになりながらも生きていける。これは新しく身につけたスキルなのかもしれない。でもこのスキルの持続性はわからない。そんな気持ちをもっても、やはり自分の苦手とすることを長期間やっていると、体に支障が現れる。経験済み。つぶれないようにするためのストレス解消は、以前よりもうまくなったが、根本的な部分はずっと変わっていない気がする。
そこを変えるにはあとどれくらい時間が必要だろうか。心臓がどきどきする。体温が一気に上がる。そんな症状とともに二人三脚をしているわたし。
「憧れ」を「強欲」に変換する術はあるだろうか。身につけられるだろうか。人生のヒントという種はあちらこちらにばらまかれている。それに敏感に反応できるか。それにはきっと自分自身が元気でいることが大前提だと思う。脳がクリアになっていないと、気づけるもんも気づけないからね。
(過去の日記を抜粋)