ソニー再生 異端のリーダーシップ

・2003年ソニーショック・・・アップルの時代になりストップ安を叩いた
・2018年7348億円で20年ぶりの最高益
・ミスター再生男こと社長:平井一夫が3回ソニーを救った

▼SonyComputerEntertainmentアメリカ再生/
・平井一夫は小学校1年でNYに転向
・小学校4年で日本に戻ってきたらガチガチの規則にカルチャーショックを受けた
・中1でカナダへ、中3で日本に戻ったがやはり日本は合わなかったのでアメリカンスクールへ入学
・高1でサンフランシスコに行き、高三で日本。そのごICUに入学、そしてCBSソニーに入社
・NY転勤でアメリカでPlay Station販売を手伝わされた
・アメリカに通用するのは日本のゲームかもしれないと感じた
・プレステをめぐってSCEAの社長が退任。社内の雰囲気も悪い中で空いた席の責任者として36歳で就任
・SCEA再生に向けて1on1ミーティングを実施し、社員の愚痴を吸い上げ、トラブルメーカーの人を辞めてもらうよう直接説得しにいった
・クリエーターファーストという方針を掲げ、数より質で勝つことを掲げた
・HWではなくSWで勝負することをやり、いいものを少なく作る
・これによりSCEAは軌道に乗った

▼SCE再生
・アメリカを軌道に乗せたころ日本の本体がアップル、サムスンの影響でソニーショックを受けていた
・当時でクタラギ社長はPS3をゲーム機だけでなくブルーレイ、音楽も含めた家庭に置くスーパーコンピュータとして作り込んだ
・しかし販売価格が6万と高額であったこと、かつ任天堂wiiが2万であったことからピンチを迎える
・高額であったことで5万円に下げたがそれでも非難は止まず、さらに5万は1台売るごとに赤字になるため2300億円の赤字を垂れ流した。これによりククタラギ社長退任し、平井が就任。
・プレステ再生するために各部長と毎日1ON1ミーティングを実施し、現場の声を吸い上げた
・顧客が求めているのはスーパーコンピュータではなくゲーム機であることを再認識
・全てのコストカット会議に社長が参加
・2年で2万台にまでカットし、その勢いのままプレステ4も1億台突破

▼ソニー再生
・エレクトロニクス事業の不振
・4500億円赤字の際に本体の社長就任
・ここでも同じように各拠点に飛び周り一人一人はなしを聞いた
・全員が情熱を持っているが、意識がバラバラになっていることを感じた
・ソニーの根底には「感動」がある。
・テレビ事業をクオリティー勝負に切り替えて、画質と音楽の質を極めて販売。黒字に転換
・コンピュータ事業の売却。
・2018年に20年ぶりに最高益を更新する
・ピンチに強い平井はここで退任
・肩書きよりEQ、いつでも選挙