それは最後の切り札にとって置いて
ふと、そういえばラオス旅中にこんな呟きをしたことを思い出した。
何でこんなツイートをしたのだっけな、と思い返してみたら、一緒にあまりにも幸せすぎたラオスでの日々を思い出した。
「アジア最後の桃源郷」だなんて大げさな名前をぶら下げたこの地には、至るところに幸せがあふれ出ていて。いつもは何故かこわばっている体が不思議とゆるんで、楽に呼吸ができる場所だった。
そんな時頭をよぎったのが「何故わたしはこんなところにいるのだろう」という言葉。
4年前、会社で朝から夜まで机に張り付いて仕事していた私は「いつか旅をしながら仕事がしたい」と誰かに熱弁しては「でも夢は大事だよね」と笑われていた。
それはあまりにも自然なことで、私が逆立場だったのならきっと同じ反応だっただろう。それほどに、その頃の私は口から滑り落ちる言葉とは全く別の姿をしていたから。
立ち止まりそうになったし、脇道にそれそうになったこともあったし。「まあこれでもいっか」と、夢を投げ捨てそうになったこともあった。1回や2回じゃない。「これもある意味幸せだ」とか「こういう道が自分にはあっている」と、耳障りの良い言葉を並べては、それらの言いなりになってしまいそうな、そんな場面が何度もあった。
でもどんな折れそうな場面でも、本当はどうしたいのか、どうなりたい、どうありたいのか。自分の心に耳を傾け続けて。そしたら気づいたら、私は今こんな風に、ラオスで、風のように生きていた。
「時には妥協も大事」だなんて言うけれど。それは最後の最後の最後まで、切り札にとっておかなければ。それが本当に手に入れたいものならば。
そうして積み上げた「まあいっか」は目指した未来を作らないし、後悔の種と諦めた苦い味を植え続ける。
それに目を覆う事は簡単にできる。だけれどやっぱり、私は最後まで取っておいてほしいと思う。
年齢なんて関係ないかもしれない。
でも今20代ならなおさら。10代なら更になおさら。
欲しい未来を作れるのはいつだって自分自身で。
それはきっと、あの時、あの場面、あの日の「自分史上最善の選択をした」という自信の上に成り立つものなのだと思う。
なんてお話です。
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