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カメラは世界と自分の対話を許してくれるまるで魔法のアイテムなのね

久々に普通の日記です。

ふと、わたしはカメラの何が好きなのだろうと思った。
ここしばらく人生がずっとバタバタとしていて、最後に夢中でシャッターを切ったのはいつだろうなと思い返してみたら、気づけば多分半年以上カメラをまともに触っていない。もちろん仕事とか、何か理由があれば触っていたのだけど「何も考えず世界に夢中でシャッターを切った」は2019年9月に行ったトルコ・カッパドキア が最後なんじゃないか。

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今年の始め私の人生に大きなイベントがあって、いろんなもののバランスが変わった。自分でもこんなにダメージを受けるのか、と冷静にびっくりしてしまったのだけど、まずは夜眠れなくなった。もちろんこれは波があるのだけれど、一人でベッドに入る夜はほぼ確実に朝まで眠れない。のでこのnoteを書いているわけです。

...と、普通の日記を書こうとするとどうしても暗くなってしまうので、まだ暫くはおやすみしていたほうが良さそうな気がする。

とりあえず、それだけ離れていたカメラとこの前久々に、雨の日にお散歩をした。仕事は関係なく、ただ純粋に雨の日を撮りたくなった。久々の感覚だったな。

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そしたら不思議と心がすうっと軽くなって、それまでカメラは「私にとって仕事の道具」だったのだけど「自然や自分のいる場所と向き合うためのツール」なのだなあと再認識した。
わたしは被写体を探して全身の神経を集中し、カメラのシャッターを切るあの瞬間がたまらなく好きなのだ。
あの一瞬だけが、世界と自分がリンクしている気がする。
自然や街と対話している気がする。
だからポートレイトより花やティーカップとか、普段声を聞くことが難しいものにシャッターを切る行為が好きなんだな。

久々に、写真がすごく楽しかった。純粋に。

あの感覚を忘れたくないな。

大人になると、どうも合理的になる。
全ての物事に意味を見出そうとするけれど。
もっと、無意味なことを大事にする人でいたい。
カメラも仕事の道具にしちゃだめだ。
これは世界と対話するための、大事な魔法のアイテムなんだ。


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