「毎日一歩経由、ランナーズハイ行き」
ここ数ヶ月以上「言葉を綴る」に関してめちゃくちゃに不調だった。というよりは集中できなくて。
「集中力を持って言葉を書く事」が苦しくて、1行書いてはTwitterをやったり、1行書いては音楽を聴いたり、3行書いてはハンターハンターを観たりと、気が散ってしまう(netfrixは沼だ)。
そしてタラタラ綴ったその言葉達からは、何の魂も、伝えたいメッセージも感じず。何だか自分の心の前にある薄っぺらい壁をベタベタと色や飾りで装飾して塗り固め「さあできましたよ。綺麗でしょう?」と、他人に切り売りしているようなそんな感覚に陥り、頭を抱えてデリートキーを押す。
そんな事をずっとずっと繰り返していた。
「テンションや感情で仕事をしない方が良いと思う。高いとか低いとかなく、ただ目の前のものを積み上げていく感覚なんです」。
お手上げ状態になった私がめくった過去のメモに、そんな言葉があった。
以前、確か何かのイベントで有名な作家が言っていたひとことだったと思う。
「魂をめいっぱい込めずに書いた言葉が、どうやって誰かの魂を震わせる事ができるんだ」と心の中で立派に毒づく私の前に広げられた原稿は、ひらすらに真っ白なのだ。
スランプ、と言うほど私は何もしていないはずなのに。
書けない。焦りだけが募っていく。
折角依頼してもらった新しい仕事も案の定今ひとつの仕上がりで、それが更に、私の精神を落ち込ませた。
「もう駄作でもなんでもいい。消さずに出してしまおう。まずは迷惑のかからない所で。その結果、もし離れる人がいても仕方ない」
そんな風に開き直り、誰かのためではなくそっと「自分のための言葉」を認め始めたのは、書けなくなってから約2ヶ月後の事だった。
しかし筆を走らせるたび、じわりじわりと苦虫を噛んでしまったような、嫌な気持ちがやはり付きまとってくる。デリートキーに伸びる手を何度も止めながら、書きあがった言葉達は、ぬるりとした手触りのよくない感情を心に残した。
それでも続けた。
次の日も、次の日も、次の日も。すると、徐々に感覚が戻ってくる。心の前に立ちはだかっていた壁はいつの間にか消え、少しずつ、少しずつ、言葉の世界に入り込めるようになった。
そこでやっと気づいたのだ。
私のこれは、スランプなんかではなく、
ただの「怠惰による練習不足」だったのだと。
フリーランスも3年目に入り、1年目の「とにかく書かねば明日の生活がない状態」から抜け、私にはべったり「サボり癖」がついていたのだ。
スポーツと一緒で、言葉だって、サボればサボるほど、なまっていく。
「鈍っていく」と意識できているうちはまだ良い。
次第にこの「鈍っている」状態が通常モードになっていく事に、気づけない時が恐ろしい。私はまさに、その状態に陥っていたのだろう。
「スランプ」のせいにして、自分が努力する事を怠っていた事に、心底恥ずかしい思いでいっぱいになった。
今は本当に少しずつだけれど、前の感覚に戻ってきている。気がしている。
時には休憩も必要だ。だけれどそれは、サボる事とイコールでは結べない。
まだまだ時代を走り抜けるランナーで居続けたいのなら。
毎日、10回の腕立て伏せ程度の努力は続けなければいけない。(いけなくはないけど)
毎日一歩で良い。ちゃんと足を踏み出すこと。
サボらず、誠実に。いっぱいじゃなくて良い、一歩で良いから。
「ランナーズハイモード」に入ってしまえば、きっと今度は走ること自体が楽しくなる。そうなったらまた次が見えてくる。
適度に休憩と、食事と、たっぷりの睡眠を取りながら。
明日も自分なりの「一歩」を踏み出したいね。
いつもありがとうございます。いただいたサポートの一部は書く力の原動力のおやつ代、一部は日本自然保護協会に寄付させていただいています。