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人間界からのストライキはいつも海の真ん中の、あの場所で。

基本、人間であることはたのしいことだと思う。
それでも時々、人間ではないものになりたくなるのは私だけだろうか?

特別な何かがあったわけでなくて、なんていうか、ひねくれ者なのか、因果なのか「人間」という枠組みがしんどくなって、そこの輪っかから外れたくなる時があるのだ。

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そんな時、決まって訪れる場所が海の真ん中にある。
香川県の島、豊島にある、豊島美術館は世界でいちばん好きな美術館。


もちろん世界中の美術館を訪れたことはないけれど(なんなら私はそこまで美術にくわしくない。興味も中の中か下くらいだとおもう、多分)それでもここ以上の美術館が世界にいくつあるだろう、と本気で考えてしまうくらいには惚れ込んでいる。

ここには目を引く造形物も、有名な画家が描いた絵も何もない。
あるのは床から不定期に湧き出る水と、音が反響するまあるい建物と、風を受け止める数本の糸と、光。
なんてことない、いつも日々当たり前にあるものたち。そこにただスポットライトが当たっているだけなのだ、この場所は。

何もない、でも普段なら特段気にもとめないもの。
目を離したすきに忘れてしまうというか、意識しないのだからそもそもそこにないのと同じ。それらを丁寧に立体的に、展示する美術館。

初めて訪れた時に虜になり、いつの間にか最寄りの町に引っ越していて、いつも心の隅っこにあるお守りのような存在になっていた。


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真っ白ですべすべの美術館の中にはぽっかりと大きな口を開けた穴がふたつ。そこから地面に光が降り注ぎ、その地面からは水滴がところどころ生まれている。ゆっくり中央に向かって流れ水滴たちの行方を邪魔しないよう、足元に注意しながら気配を殺し、そのあいだを人間たちが歩く。(ここでは、人間よりも水や光が主役だから、わたしたち脇役は決して邪魔をしたり目立ってはいけない)

全体を歩き回って、その日湧き出ている水の様子や光の様子、風の様子を注意深く観察してみる。

今日心が求めているのがどんなものなのか。
どんな場所なのかを、自分自身と相談しながら何箇所かに腰を下ろしてみる。
体育座りしたり、あぐらをかいたり。
寝っ転がったり、うつ伏せになってみたり。
そんなことを繰り返しているうちに、ふとした瞬間「ここだな」と思う場所が見つかる。

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場所を見つけたらあとは水や風の音に身を任せながら、
わたし自身も水や風、鳥や空になる。
時折やってくる虫をじっと見つめていると、
やさしい木やあたたかな土なれる時もある。

そうして短い時は1時間くらい、長い時は3時間くらいをここで過ごす。

他に誰もお客さんがいない時は、海の底に沈んだ石のような気分になるし、
人がいっぱいいる時は、最初は気になるのだけれど、ざわめきも話し声も、ただ前を通り過ぎていく出来事になる。それ以下でも以上でもなくなるのだ。

SNSに上げるわけでもなし、写真を撮るわけでもなし、
ただ、そこに身をおきたくなって訪れる。

親しい友人数名にその日見つけた木漏れ日だとか、
感想だとかをこそっと簡単にLINEで送る。
午前中に訪れて、午後に乗ってきた船で家に戻る。
なんだかそれはお正月に、かならず初詣をするような、そこでおみくじを引くような感覚で、わたしの暮らしの中にある特別な意味をもつルーティンになった。

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余談だけれど、いつも豊島美術館の中で一曲だけ必ず聴く曲がある。
坂本信太さんの TODAY'S PIANO #27という曲だ。

お気に入りの場所を見つけたらイヤホンを取り出して一回だけ、集中して聴く。
この曲が流れている約15分間自分の心に全力で耳を澄ませる。
これは私にとっては診察みたいなもので、
心につっかえているものはないか、不安はないかを慎重に探す。

何か見つかる時もあれば見つからない時もある。
風と音楽が調和するときもあれば、水だったり虫だったり、何にも調和しないときもある。
それをただ受け止める。右から左へと受け流すように、ただ。

音楽を聴き終わったら、
今度は美術館の中にいる、偶然居合わせた仲間たちを観察してみる。

各々しっくりくる場所を探したり、
すぐに去っていったり、誰かと譲り合ったり、
なんかそんな様子を見ていると、
人生と一緒だなあなんて、大きなことを思ってみたりする。

自分の視野が広くなったのを自分自身で感じとると、いつもふといきなり集中力がなくなって、自然とのリンクが切れたような感覚になる。

そうするとわたしは居場所迷子になってしまうから、大人しく人間界に戻る準備をするのだ。

わたしはこれらの一連の儀式を「人間界からのストライキ」と呼んでいる。
ストライキなので、ちゃんと戻る。

一旦人間であることを忘れたら、もう一度ちゃんと人間界に帰ってくるから、結構短くてお手軽なストライキだ。
迷惑も多分、ほんのちょっとしかかかっていないと思う。

いつもは感想なんて書かないのだけれど。
今日からしばらくこの地から離れるので、ふとラブレターを残したくなったのかもしれない。

またこの地に戻ってきたら。
あの場所にこっそり、ストライキをしに行こうと思う。

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古性のち | Noci Kosho
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