友達について
昨日、いや一昨日だったっけな?友達と電話をしていて、わたしが「○○さんの事は大事な友達だと思っているよ」と告げると「僕は友達の明確な定義がわからないんだよね」と返ってきた。
ドラマだったら次にくるのは「だって君のこと、こんなに愛してしまっているんだもの」とか「君は僕にとって特別すぎるから」なんて甘ったるい台詞なんだろうけど、単純にこれは言葉のまま純粋な「友達の定義ってなんだかわからん」というストレートな返答でした。なんという期待外れ。
わたしは普段そんなに小難しいことは考える機会がないのでびっくりしたのだけれど(でも地球規模で物事考えたりはする。疲れるね)、確かに”友達の定義”ってなんだろうか。よく分からずに使っていた。
googleで調べてみたら「あだ名で呼ぶ」とか「頻繁に会う」とか出てきたけど、どれもしっくりこなかった。だって大人になると、別に会いたくなくても頻繁に会わなければいけない場合もあるし、あだ名なんてライターやフォトグラファーをやっていると、もはや実名よりも呼ばれる頻度が高くなる。なんなら初対面からあだ名だものね。
その後うーん、と珍しく考えてみたら、私の友達の定義でしっくりきたのが
1・会う時に緊張しないこと。1人でいる時の温度感や纏っている空気をそのままスライドできること
2・無言の時間もそのまま愛せること
3・相手が今持っているオプションを外したとしても変わらず好きでいられること
の3点かなと思った。まあ2は1のついになっている気もするから実質は2つかも。そう思うとわたしはただ街を歩くだけでも緊張しているし(力が入りすぎて手がぐーになる癖はやっと抜けた)、誰かを目の前にすると大抵何を話そうか、どうおもてなそうか、とそわそわしてしまうから、つまり友達がすごく少ないことになる。
多分みんなとリラックスして話すには、私に圧倒的に足りていないのは自己肯定感だ。自信だ。私は私をもっと愛してあげなければ、私を愛してくれる人は増えない、そんな気がした。
とりあえずそんな事をふわふわ考えながら、電話を切った相手のことを改めて想像してみたら、ああやっぱり彼は紛れもなく友達な気がする、と思った。
貴重な相手はきちんと大事にしよう。
さあ、自己肯定感をあげてゆきたいところだけど、どうやったらあがるんだろうか。
おやすみ世界、今日も良い夢を。
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