終わりと始まり
おはようございます
株式会社グリット代表、学習塾GRIT塾長の西上です
本日5月15日は僕の誕生日で、無事に29歳になりました
そんな日に皆さんにご報告があり、このnoteを書いています
本来は口頭でお伝えしたいですが、全員にお伝えすることは難しいため
noteの記事としてお伝えさせていただくことご理解ください
今の気持ちをまとめることは難しく、過去の想いも含めながら書きますので
かなり長くなります
お時間に余裕がある際にお読みいただけると嬉しいです
学習塾GRITの閉校
先日、一部の方にはお伝えさせていただいておりましたが
学習塾GRITを7月末をもって閉校することとなりました
原因は経営の継続ができなくなってしまったからです
高校野球の終わりと次のステージへの葛藤
ここから先は少し僕の過去に遡ります
教育の世界に飛び込んだのは22歳
でも本当は学習塾ではなく高校の先生になって野球部の顧問を持つことが夢でした
18歳の夏、県予選で敗退して高校野球が終わった後、自分の夢について考える機会を設けました
自分は何がしたいのか、何を成したいのか
大学でも野球を続けたい思いがあったので、当時、野球で推薦をいただいていた大学に進学したい思いを抱いていました
その思いがある一方、肩の状態が良くなく、選手としてプレーしている間もリハビリを続けながら試合に出ていたため最後の夏は思うようなプレーができなかった自分に大学野球で通用する自信を持てなかった思いもありました
僕は、自分から「野球」を取ったら何も残らない
そう自分自身では思っていましたが、当時の担任の先生から
「隼人は教育者に向いている。グランドでの指示、後輩への指導も的確だったし隼人の存在がチーム(組織)に良い影響が出ていた」と言ってもらった時に
自分自身では考えてもなかった「人を導く職業」に興味が出てきました
教育者になって再び野球界で活躍したい
その思いから「高校の先生になって野球部の顧問を持ち、甲子園に出場する」ことが自分の夢になりました
中学時に修めていた学業成績を高校に入学して以降、下降の一途を辿らせてしまったため、元に戻すことは容易ではなかったですが一旦学業に専念した結果
なんとか静岡大学に合格することができました
当時描いていたキャリアプランとしては
静岡大学で教員免許を取得→高校教諭として勤務し野球部の顧問
でした。
ご覧の通り現実にはできなかったですが笑
教育界(学習塾業界)へ
大学での4年間は正直あまり覚えていません
今でも連絡を取ってくれている友達もいますし、一緒にゴルフに行くこともありますが大学在籍中の記憶のほとんどはバイトと一人旅です
飲み会やイベントにもあまり参加していなかったのでコミュニケーションが完全に不足していた4年間だったと社会人になってから気付きました笑
22歳の秋、教育実習を浜松の高校で受けさせていただきましたがこの経験はあまり良くなかった記憶しか残ってないです
業務量が多く、業務時間が長い、そして部活動指導に充てられた時間が1日30分だったこともあり、高校野球の顧問を持つことが高校の先生になる目的だったので
この時の経験が高校の先生になることを断念するきっかけになってしまいました
今思えば高校が変われば環境が変わることくらい当たり前に分かるのですが、当時はそうは思えなかったです。まぁそれくらい追い込まれていたので…
大学4年間で本気で取り組む野球から少しずつ離れていき、学業の方に軸が傾いてきていたこともあって就職先は野球界ではなく教育界を選択しました
そして先生という立場になる学習塾業界に進みました
いろいろ学んだ会社員での5年間
22歳で入社したのは株式会社ヒーローズホールディングス
(当時は東海出版株式会社)
入社と同時に担当校舎を与えていただき、最初は同期と2人で校舎運営に携わりました
社会人1年目で経営の中枢を体験できたことは本当にありがたい環境であったと思いますし、当時支えてくださった上司には感謝しかありません
そして2年目には(同期が別校舎を担当することになったので)担当していた校舎を1人で回すことになりました
自分の色を思う存分出せる環境になったことで自分の作りたかった環境・空間をデザインする経験もさせてもらいました
今振り返るとこんな経験を若いうちからさせてもらえるところはほとんど無いと思うので本当に感謝しかないです
退職と独立
こうした経験を積み上げていく中で、5年目に
「独立して自分の学習塾を作りたい」という思いが出てきて
2020年2月に会社を退職しました
独立してからの日々は何もかもが新鮮で新しい経験・初めての経験だらけでしたので苦悩と挑戦の連続でした
会社員時代には学びの優先順位が低いと感じていたマネーリテラシーも独立して1人で経営するとなると話は別で、ずっとお金と向き合い続けないといけないので自分なりに学習を続けてきました。
しかし、思うような経営状況にはならず、開校2年目の昨年の1月に初めて黒字化しましたがそれも3ヶ月のみ。受験生が全体の7割を占めていた昨年から今年の4月には大幅な人数減少も相まって再び大赤字。自転車操業できていた経営でしたのでここで力尽きてしまいました。
独立して新規開校したタイミングでコロナが来たので周りからは「タイミングが悪かった」「周りの環境が良くなかった」などの声をいただきましたが、自分の力不足の何者でもないと自分では感じています
コロナ禍でも成果を出し続けている学習塾は存在しているのでコロナは関係ありません
経営しながら講師も行うことがいかに厳しく険しい道だったかということを学びました
そして、何より【誰かに頼る】ことが本当に大切だったんだと強く感じました
ずっと1人で経営・運営してきてのこの結果です
もっと周りの方を信頼して頼るべきだったと今では後悔しかありません
早く行きたければ1人で行け、遠くに行きたければみんなで行け
If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.
「ことわざクリシェ」でおなじみのアフリカのことわざですが
この文の意味を強く感じた2年間でした
次の挑戦ではこの経験を1ミリも無駄にしないようにしていきます
11年お世話になった浜松
挑戦の街、浜松
僕は7月31日をもって11年お世話になった浜松から出て地元の大阪に帰ります
浜松では自分なりにたくさんの挑戦をしてきました
挑戦の街、浜松と地元では謳われているくらい
新規事業の立ち上がりが多い街だと個人的には感じています
そんな浜松で僕もたくさんのことを経験させてもらいましたし、たくさんの人と繋がることができました
大阪に残っていたら絶対に繋がることのなかった人脈ができたことが僕にとって浜松で得た何よりの財産ですし、この繋がりは絶対に切ることのないようにしていこうと思ってます
最後は大阪で成功したい
そのためにはこの浜松で一旗揚げたい
そんな野望を持って浜松で過ごしてきましたが結果的には見事に撃沈しました笑
そんなに世の中甘くないということを教えてもらいました
挑戦者として鍛えてもらった浜松という地は僕にとって第二の故郷になることは間違いないと思います
いつかは浜松にいろんな面で還元できるくらい人間的に成長していきます
その時まで暖かく見守ってもらえると嬉しいです
13年半ぶりに帰る地元・大阪
再挑戦する場所は大阪から
2009年3月24日
高校で寮生活するため、この日に大阪の実家を出ました
早朝の時間帯でしたが中学校時代の多くの友人が見送ってくれたのを今でもはっきりと覚えています
この日に抱いていた想いは
絶対成功(甲子園出場)して地元に凱旋する
でも現実にはその想いは叶いませんでした
その日から約13年半という月日が経ち、2022年8月に地元・大阪に帰ります
成功して帰省ではなく、失敗して帰省となってしまいましたが
いろいろ複雑な想いはありますがゼロから改めてスタートしていきたいと思います
次の挑戦
やっぱり野球が大好き
一度は離れた野球界ですが
でもやっぱり僕は野球が大好きだと再認識しました
再挑戦するなら野球に恩返しがしたいという思いが強く
大阪では野球関係に携わる仕事をしようと思います
野球界を盛り上げたい
少子化問題や旧体制から変わらない野球界の体質問題も相まって
野球の競技人口は年々減少しています
僕はこの現状にとても寂しさを感じています
学生時代のほとんどを野球に費やしてきた身としてかなりバイアスがかかってますが野球が一番面白いスポーツであると感じています
投手との駆け引き、団体戦のように思えて究極の個人戦など目には見えない楽しさが野球には詰まっています
次の挑戦はこの想いを持ってスタートします
まだ確定している話ではないのでここで詳細を記述することはできませんが
決まり次第改めてnoteを更新しますのでその際はぜひ応援してください
野球選手としても再始動したい
ずっと野球から離れているのでそんなに甘く、簡単なことではないことは重々承知ですが、大阪ではもう一度「選手」として野球がしたいと思ってます
これまではもう選手として野球をすることを半ば諦めていましたが、野球関係の周りの人間が選手として活躍している姿を見て感化されたのと、最後の夏の大会が不完全燃焼だった若干の後悔がここにきて心に火がついているような気がします笑
どこまでできるか分からないですが大阪に帰った後、新しく挑戦しようと思っていることの一つが選手として野球をすることです
感謝と決意
最後になりますが改めて感謝と決意を述べさせてください
これまでの人生はたくさんの人に支えられてここまできました
たくさんの経験をさせていただきましたしたくさん学ばせていただきました
29歳という年齢は、世間的にはもう若者ではありません
周りの友人を見ても、会社の役員になってる人もいれば
しっかり仕事をして子どもを立派に育ててる人もいます
そんな年齢で事業を失敗し、ゼロから再スタートすることに
正直、不安と恐れを感じています
安定した職業に就くことで無難な人生を送る方が良いのかもと考えることもあります
でも、やっぱり一度きりの人生なので
自分の夢を叶えるための人生にしたいという思いが強いです
これまで自分勝手な行動でたくさんの方に迷惑をかけてきました
自分で決めてすぐ行動することが良い面も悪い面も両方あると学びました
それでもやっぱり自分の人生は自分で切り拓いていきたいと今でも強く思っています
両親はじめ、29年間こんな僕を支えてくださりありがとうございました
そして人生30年目の今年から再スタートする僕を改めて応援していただけると嬉しいです
これまでお世話になった方々へ最後には恩返しできるよう人間的にも大きく成長していきます
ここまで貴重なお時間をいただき
長文お読みくださりありがとうございました
どこかで見たこの言葉が今の僕の原動力です
学習塾の屋号にも記した【GRIT】も”やり続ける力”という意味の造語です
自分の人生でも”GRIT”を全うしていきたいと思います
頑張ります!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?