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徳川家とはり

こんにちは。はたけなかです。


昨日に引き続き「徳川家とはり」。


歴史と鍼灸を調べておりますと
江戸時代の徳川一族と鍼医の関係は深く
三代将軍、徳川家光の鍼医として山川検校(城管貞久)、
七代将軍、徳川綱吉の鍼医として杉山和一(前回お伝えした方)
十一代将軍、徳川家斉(いえなり)の鍼医として石坂宗哲などが知られています。


石坂宗哲はシーボルトに鍼医道具と書籍を贈ったり、
西洋医学を取り入れて医学における東西融合を試みたりしたそうです。


「シーボルト」さん。
中学か高校で登場してきた方なのですが簡単に↓

『ドイツのお医者さんで博物学者。
オランダ商館の医師として来日し
長崎に鳴滝塾を開設、
診療と教育とに当たり、
日本の西洋医学発展に影響を与えた。』方です。
(goo辞書より引用)


シーボルトが持ち帰った鍼や『栄衛中経図』は
現在もオランダのライデン大学とフランスのパリ国立図書館が所蔵。


江戸時代の日本の鍼や鍼に関する書籍が
オランダとフランスに所蔵されていると思うと
タイムスリップした気分になります。


徳川家の影の支え人として活躍した鍼医。
江戸時代の鍼医というのは、
鍼もしくは灸を用いて医療行為を行う職業。


江戸時代の制度では医師の診療科は
本道・傷科・鍼科・口科・眼科・小児科・産科の7科であり、
鍼医はその一つと見なされていました。


しかし、江戸時代に築かれた
高度な鍼医制度は
明治政府の厚生政策で
ドイツ医学を学んだドイツ医のみが
医療を行える者とみなされ、

オランダ医、イギリス医、漢方医、
そして鍼医は排除されました。


現代は医師法第33条により
鍼医と名乗る事を規制されており、
はり師もしくは鍼灸師として国家資格化されています。


石坂宗哲が目指した、
西洋医学と東洋医学の融合。


鍼灸治療は
予防医学に繋がり
それによる服薬の減少
はたまた医療費の削減にも繋がります。


そして、
現場で患者さんの声として感じるのが
鍼灸治療を定期的に受けていると
ご自身の体のサインを感じ取ることができる
そんな気がします。

なので、悪化する前にケアできる。
患者さん自身が、
自分の身体に声をむけている方が多いです。
素敵なことだと思います。


東西融合。
少しずつ広まっては来ているものの
まだまだ少ないのが現状です。


鍼灸の良さを多くの方に実感していだくこと。
それが、東西融合に繋がる1歩であると思っています。


時代を築いた徳川家の影の支となった鍼医。
これからの時代も誰かの支えになれる
そんな鍼灸師を目指して精進してまいります。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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