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アドルフ•アイヒマンと社畜

1961年4月11日にエルサレムで始まったアドルフ・アイヒマンの裁判で世界が驚愕したのは彼がどこにでもいそうな平凡なおっさんだったことだ。

600万人とも言われるユダヤ人を強制収容所送りにしたホロコーストの実行者、人類史上トップクラスの処刑人は太々しく悪魔的な雰囲気を醸し出していなければいけないのに目の前の被告人は色白で瘦せっぽち、禿げ上がった頭髪に眼鏡をして、何回見直しても冴えない男。うだつが上がらず誰にもできる仕事を淡々とこなす万年係長にしか見えないのだ。

「悪は凡庸だ。」

この裁判を傍聴していたハンナ・アレントは当時ニューヨーカーに連載していた「エルサレムのアイヒマン」でこう言った。彼女は我々が考える悪人達は高尚な哲学とか思想を備えた存在ではなく、ただひたすら何も考えていないだけの陳腐な存在だと分析した。

アイヒマンは裁判で「私は命令に忠実に従っただけ」と繰り返した。上がそう言うからやった。アイヒマンは受動的で主義思想の欠如という点でとてつもなく平凡だった。

敢えて言えば彼の非凡性は上層部からの命令を一切自分の頭で解釈することなく言われた通り実行するサイボーグ性だろうか。アレントは巷に溢れるこんな平凡人こそいつでも凶悪な人間に一瞬で変貌してしまう危険な存在であることを明らかにした。

だからアサシン部隊を作るならインテリではなとことん無学で無教養な人間で結成しよう。自分の頭で考えない彼らは言われた通りに何でもやってくれるのだ。

いや待てよ。一番いいのがいるじゃないか。

日本の社畜だ。

もし戦争が起こったら品川駅のゾンビ集団と新橋のネクタイ締めた呑んだくれ達を実行部隊にしよう。

彼らは殺戮の限りを尽くした後でこう言ってくれるに違いない。

「上司に言われたので殺しました。」

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