ピロウズと歩んだ18年
1. 出会い
2006年春、大阪の専門学校に通っていた。
同じ専攻の友達からBUMP OF CHICKENのCDをすべて借りてどっぷりバンプにハマっていた頃、the pillowsとの出会いが訪れた。
「バンプの曲で一つだけまだ聴いたことないやつがあるんだよね」
そう言って彼が手にしたアルバムこそ『シンクロナイズド・ロッカーズ』であった。
そのCDももちろん貸してもらった。
初めて聴くバンプの(カバーした)曲をワクワクしながら再生した。
「ハイブリッド レインボウ。こういう曲か〜」
一度目は正直、そのくらいの感想で終わってしまった。
しかし、その次に流れてきたMr.Childrenが歌ったあの曲を聴いて人生が変わった。
19歳の春、新しい人生がスタートした。
衝撃的だった。
一つ目のサビでぶん殴られた。
サビだけじゃない、全てのフレーズに胸を打たれた。
「なんだこれ…歌詞全部すごい…金太郎飴みたい」
このとき本当にこう思った。
(金太郎飴、本来の使い方と違うけど)
コンポの前でヘッドフォンをして歌詞カードを見つめ固まってしまった、あの時見た景色をよく覚えてる。
それまで大好きだったMr.Childrenよりも、BUMP OF CHICKENよりも、他のどのアーティストよりも、the pillowsというバンドがすぐに大好きになった。
当時まだ流行り出したばかりのYouTubeでピロウズのことを検索してストレンジカメレオンのPVを見た。
「本家の人はこういう声なのか。ナヨっとしてる。けど優しいかんじ。なんでPVはサビ一個少ないんだろう。あれってミスチルのオリジナル?」
初めて聴いたときはこんな風に思った。
ベストアルバム『Fool on the planet』を手にしたが、トリビュートの曲は半分くらいしか入っていなかった。
すぐ大好きになった『この世の果てまで』が入っている『Smile』を手にした。
その流れで『RUNNERS HIGH』も。
その次にその当時最新アルバムだった『MY FOOT』、ピロウズにとって一番重要な"なにか"が入っているであろう『Please Mr.Lostman』を聴いた。
ピロウズから受けた一番最初の衝撃は『ストレンジ カメレオン』で、次の衝撃は『カーニバル』だった。
10代特有の厭世観というか、悲観的なことをロックバンドでかっこよく歌ってくれるピロウズにどっぷりハマった。
当時大流行していたmixiで『CARNIVAL』のコミュニティを作った。
今回この文章を作るにあたって久しぶりに確認してみたらメンバーがちょうど100人だった。
一番多いときは150人くらい参加してくれてた気がする。
その中のうちの誰か、ここに辿り着いてくれたら嬉しいんだけどな。
2. 初めてのピロウズライブ
2006年12月9日
LOSTMAN GO TO CITY
なんばハッチ
ついに初めてピロウズのライブへ。
ライブの一週間くらい前にmixiでチケットを譲ってもらった。
相手は東京の人で「東京の人なのに大阪のチケット…!なんで!?」と不思議だった。
ライブのために東京から大阪へ遠征するなんてその頃は考えられなかった。
ピロウズのライブなのに、このときあろうことか下に●'zのTシャツを着てきてしまっていた。
B'●のことが好きで、この年の大阪ドームのライブで買ったシャツが普段着になっていたのだ。
このシチュエーションに一人で笑った。
買ったばかりのピロウズTシャツにダッシュで着替えた。
客電が落ちてモッシュが起きる。
このときの日記に「押し流されて」とか「危ない」「ケガ人出る」などと書いていた。
まだモッシュという言葉も知らなかった。
ライブハウスには何回か来たことがあったけど、初めての経験だった。
一曲目『Thank you,my twilight』。
あのイントロにみんなが一斉に声を上げた。
『ストレンジ カメレオン』もやってくれた。
初めてのライブで大切な出会いの曲を聴けて嬉しかった。
アニバーサリーでもないのにこの曲をやるなんて、今とは違うな。
『カーニバル』が聴けなくて残念、と日記に書いていた。
バスターズ最初の数年は「いつになったらカーニバル聴けるんだろう」とライブに行く度思っていたのを思い出した。
レーベルが移ったばかりだったのでそれについてのMCもあった。
確か、一人の知り合いから「●vexに行っても変わらないでね」というメールが来て…からのこの言葉だった。
なんばハッチまで自転車で行って、ライブが終わったらすぐ家に帰ってその日のうちにネットに日記を書いて。
19歳冬の日、大切な思い出だ。
3. 大学で出会った2人のバスターズ
2年の大阪生活の後、現役で入学できなかった京都の大学へ編入学を果たす。
入学してひと月かふた月経った頃、同じ専攻の友人が何かを貸し借りしているのが目に入った。
あれ?見たことあるジャケット?
びっくりした!目の前でピロウズのライブDVD『916』が手渡されていた。
「え、ピロウズ!?おれもピロウズ好き!!」
すぐに声に出した。
「ほんまに!?」と喜んでくれた。
握手もしたと思う。
『916』をまだ観たことがなかったから、自分も後々貸してもらった。
DVDを持っていた彼が、同じ専攻の中にもう一人ピロウズを好きなやつがいると教えてくれた。
その彼こそ徳島のバー「Gペン」の店主、かがみくんである。
3人でPIED PIPERツアーなんばハッチ公演へ行った。
20周年武道館はかがみくんと2人で大阪から公式バスツアーで向かった。
OOPARTSツアーにも2人で行った。
卒業後、25周年の第2期再現ツアーも隣の席で観た。
大学がマンガ制作の専攻だったこともあり、フリクリを通してピロウズと出会った人がそこにはたくさんいた。
別に好きじゃなくても、ピロウズというバンドがいることをみんな知ってるような場所。
その中にはズドンとハマった自分みたいな人も複数人いた。
学校に行けばクラスメイトと毎日ピロウズの話ができる、幸せなことに。
特殊な環境だったな。
4. 上京
大学卒業後は東京へ。
自分で望んだことだけど、お金もないし未来も見えない、人生の中で一番つらい時期の始まりだった。
毎日『Beautiful Picture』と『そんな風にすごしたい』を聴いて過ごした。
年末にMovementツアーのZepp東京へ行った。
またmixiでチケットを譲ってもらった。
懐かしの“当日会場手渡し”。
物販に並んでいた譲り手の女性が「グッズ一緒に並びますか?」と言ってくれたのに断ってしまった。
グッズを買うお金がなくて。
Zepp東京はとにかく広かった。
ムーブメント、サビ終わりの間奏がかっこよかった。
さわおさんはCoCo壱にハマっていた時期で、この日もMCで話していて帰りに食べたくなった記憶がある。
(ちなみにこの直後インフルになった。これもまたライブあるあるでは?)
病気になって入院した時期と重なり、HORN AGAINツアーへは一度も参加できなかった。
Wake up!以降のアルバムツアーで唯一行けなかった、ホーンアゲイン。
エネルギヤツアー、トライアルツアーにも行った。
客同士のいざこざで途中で演奏が止まってしまう日もあった。
いわゆるノーツイート事件である。
後ろの方にいたから何が起きたかわからずヒヤヒヤした。
後日Podcastでそのケンカの一部始終を目撃したバスターズからのメールが読まれ、みんながその話を知ることとなった。
5. 帰郷
ピロウズがお休み期間に入った頃、出身地の静岡県へと戻った。
いろいろなことが明かされた今はあの休憩期間の意図がわかるが、当時は「ピロウズどうなってしまうのだろう」という不安をみんな抱いていたと思う。
久しぶりのピロウズライブは2013年のGO TO CITYツアーだった。
自分にとって最初で最後のSHIBUYA-AX公演。
「ピロウズは人がたくさんいるな」と自虐MCがあった。
買ったばかりの『確かめに行こう』Tシャツをロッカーの上に置いてきてしまったのが苦い思い出だけど、久しぶりにピロウズが観れてすごく嬉しかった。
25周年TOKYO DOME CITY HALLは"A86"という良番だった。
開場前の整列では「整理番号A1番の人〜」「はい!」「うおおおおお!」と、そこにいたみんなで盛り上がり拍手した微笑ましい一幕もあった。
開演前のムービーだけで号泣。
始まる前から感情的に泣かされたから、ステージへ登場してきたさわおさんの名前をみんな泣きながら叫んでいた。
2列目に行けたからメンバーの表情がよく見えた。
ライブBlu-rayではシンちゃんの後ろの定点カメラで自分の姿を確認できてありがたい。
その後は『ムーンダスト』から『REBROADCAST』まで毎年のようにツアーをやってくれて、その度3〜5公演はライブに参加できた。
何度も最前列になれたし、Zeppで整理番号"1"もとれたし、何度も憧れのさわおさんとグータッチできた。
30周年の横アリには入籍ひと月前だった妻と2人で行くこともできた。
6. 2020年以降
30周年アニバーサリーが終わり、ピロウズの活動は自然とフェードアウト。
2020年2月27日、カサブランカ名古屋公演。
おかしな世の中になり始めていた頃だった。
「今日はみんな、家の人やパートナー、会社の人にはなんて言って来たのかな?…言いたいことはたくさんあるけど、今はやめておく」
最後にさわおさんはこんな風に振り絞っていた。
2020年のピロウズのライブは2月の有江さんバースデーライブのみだった。
2021年は再現ツアーをやってくれた。
ライブハウスにパイプイスが並べてあったりテープが引いてあったり、もちろん声出しはNGで窮屈な思いをした。
しかし一方で、その中でもアーティストとオーディエンスでライブを共有していることをグッと感じる瞬間もあった。
浜松窓枠のトリプルアンコール『No Surrender』の最後のサビで、さわおさんは一瞬歌うのを少しやめた。
悪い意味じゃなくて、魔法がかかったあの瞬間を感じ取っているように見えた。
この年のツアーはまさかの名古屋3公演(1公演は追加公演)で、浜松と合わせ4ヶ所観に行くことができた。
今まで通りのライブではないけれど、ピロウズが何度も生き生きとした姿を見せてくれたのはすごく幸せなことだった。
この年、ツイッターで『BOON BOON ROCK』の歌詞そのままに描いた漫画を載せた。
思った以上に反響がありとても嬉しかった。
ピロウズの名曲を使ってみんなに褒めてもらうなんて卑怯だけど、「漫画を読んでからあの曲いいなと思うようになった」と言ってくれた人もいた。
皆さんの温かいお言葉、本当に感謝しています。
7. "今"思うこと
2024年現在、この数年のあいだに生まれたルールは消えて昔のようにライブやフェスを楽しめるようになった。
しかし、2020年以降のピロウズはかつてのように新曲を発表しなくなってしまった。
最初の数年は次のアルバムが出るときが待ち遠しかった。
ここ数年は今のピロウズの"状況"を理解している。
毎年全国ツアーをやって会いに来てくれる35年目バンドなだけで奇跡みたいな存在だ。
そこに変わらずいてくれるだけで嬉しい。
けど新曲がなくて寂しくて、どうかなりそうなのも本当だ。
ピロウズの"今"の音楽を"今"のさわおさんの言葉でまたいつか聴いてみたいな。
この5年間は今までと違って、ピロウズ以外のアーティストの曲をたくさん聴いた。
20代、30代の孤独で不安な気持ちを歌うアーティストの歌を聴くと、やっぱりどこか救われる。
あの頃のピロウズの切ない曲とどこか似ている。
新曲が聴けず寂しい気持ちも本当だし、3人揃ってステージに立ってくれるだけで嬉しい気持ちも本当だ。
8. とにかく"今"は916!
贅沢を言ってしまいました!すみません!
新曲なんてなくてもいい!
今はただ本当に916が楽しみ!
ピロウズが結成日の9月16日にライブをやるのは15年前の20周年のとき以来のはず!
それがすごく嬉しいしドキドキする!
(間違っていたら教えてください)
参加される皆さま、最高の夜にしましょう!
ご覧いただきありがとうございました!
持ち主さん、この度は素敵な企画をどうもありがとうございます!
いろいろ書いたけど、ピロウズのことがとにかく好きだ!その一言に尽きる!
916、どのシャツ着て行こうかな〜。
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