忘れたくない言葉について
あなたには、忘れたくない言葉はあるだろうか。
私にはある。その一つが、昨年度、人事異動の際に、直属の上司からかけられた言葉だ。異動の前日、別室に呼び出された。
「あなたは、新入社員としてこの部屋に来て、いろいろなことをしてきた。その中でも、私が、あなたの一番優れていると思ったことを伝えます。それは、お客さんが来た時に、それが誰だろうと真っ先に出て対応することです。そんなこと、と思うかもしれない。もっと他にもいろいろしたぞと、たとえば、無駄な会議をなくし、コロナ対策で激変するイベント対応に奔走し、偉い人のハンコをもらう仕事もした、それらが評価されるべきと、そういうふうに思うかもしれない。でも、それは違う。なぜなら、お客さんへの対応は、「だれのものでもない仕事」だからです。別に、若い人がお客さんの対応をすべきだと言っているんじゃない。組織で仕事をしていると、どうしても「だれのものでもない仕事」というのはでてきます。そのときに、「自分の仕事」じゃないからといって誰もやらないと、組織としてその仕事を果たせなくなってしまう。これからも、「だれのものでもない仕事」に取り組むことのできるあなたでいてください。」
細かいところは覚えていないが、大意はこんな感じだったと思う。
私が本当にそんな評価に見合う人物だったかどうかはこの際どうでもいい。
私は、尊敬する上司からそんな言葉がもらえて嬉しかったということが言いたいのである。
その上司は、私が文学部とかいうろくに使えもしない大学を出たあと、はじめての職場の上司であった。
複数の面識のない会社にはメールをBccで送ること、電話の受け方、より上の上司への対応の仕方、本当に常識的なことを基本の基本から教えてくれた。
そんな上司について私が敬服した理由の一つが、まさに「だれのものでもない仕事」をするところだったからである。
誤解のないように言っておきたいが、その上司はいわゆる「仕事大好き人間」「モーレツ社員」のようなタイプではない。もちろん優秀さもあってのことだろうが、ふだんは午後3時にはやることをなくし、定時15分前には帰宅用意をし、定時退社の回数は部屋で一番であり、効率よく仕事をする方法について常に模索しているような人だった。
だが、とにかく「だれのものでもない仕事」を形にすることに長けていた。それを象徴する話がある。2020年2月に新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた時、私は担当だった3月のイベントを、その1週間前になって中止にした。私はそれを中止にするかどうかなど、目先のことで頭がいっぱいであり、事実その後も事後処理に追われていた。その間、その上司は裏で代替イベントの準備を進め、4月にはもう実施できるようにしていた。
こんな大げさなことでなくとも、電話で対処法不明の案件があれば自らとって解決していたし、「○○という部屋がどこか分からない」という来訪者には付き添って案内していた。
「だれのものでもない仕事」をしなさい。というのは、その上司の信念なのかもしれない。その上司はいつもそういうふうに仕事をしてきたし、これからもしていくのだろう。その言葉は、生き様そのものである。そんな人から、「あなたはだれのものでもない仕事ができる人だ」と言ってもらえたことが、私はとても嬉しかったのである。
参考
「だれのものでもない仕事」については、哲学者(?)の内田樹がブログ記事を書いている。
「おせっかいな人」の孤独 内田樹の研究室 2008-12-20
http://blog.tatsuru.com/2008/12/20_1033.html
彼の文章について、私は(『寝ながら学べる~』も含め)食わず嫌いして避けてきたのだが、結構まっとうなことを言っていそうだ。
特に、「「仕事のできる人」というのは、例外なく全員「そういう人」(=「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」という考え方をする人)だからである。」というところについて、まさにその上司は「仕事のできる人」であった。