苦悩
1日目
「止まない雨はないよ」と励まされた晴れの夏。
こんなに外はかんかん照りなのに、全くもって説得力なんてないよ、と思いながら、その言葉をかけてくれた愛情だけは享受した。話は終わって、会計を済ませ、カフェのドアを開けて日を浴びる。35℃、5日前に雨が止んでからは晴れ続きの空に向かって傘を開いて歩き出す。
「また明日学校でね。」と彼女が手を振って、別々の道へ歩き出す。
太陽に向かう傘が織りなす影の輪郭を見つめながくら、本当は違う言葉をかけて欲しかったなぁ、と言葉をこぼしてしまった。苦悩している私を立ち直らせようとするんじゃなくてただ苦悩してる姿さえ愛していると、そう言って欲しかった。駄々を捏ねている子どもじみているのはわかってる。その上勝手にうだうだと苦悩をポエムのように聴かせたのは私だ。彼女にとっては、幸せな時間ではなかったかもしれない。下手したらこの時間そのものが彼女に傷をつけたかもしれない。そんな時間だったはずだ。この言葉は、どうやったら私が元気になるのかを彼女のなりに考えて贈ってくれたギフトである。相手の語彙を選択するのは私ではない。どんな言葉を選んだとしても、どんな表現をしたとしても、それが彼女による私への愛情だということは理解していた。
止まない雨はないという言葉の意味ごと享受できるだけの心の余裕はなかったが、それでも自分の軽くなった足取りから、そこに救いがあったことに気づく。
2日目
眠れない夜を過ごすことがある。そんな夜は遠足の前の日に眠れない子どものように、高揚感があった。悲しみの高揚感があった。外は明るくなっているけれど、眠れなかったせいでまだ夜中のような気持ちだ。
眠っていないベッドから、起き上がる。いつもの朝ごはんの香りが、気持ち悪い。
3日目
4日目
10日目
泣かなくはなった。泣かない自分に絶望してしまう。いつまでも悩めばいいものでもないのもわかるし苦悩からは解放されたいと思うのに、苦悩している時間そのものを大事にしている自分もいる。苦悩が続くことそのものが私自身が悩むに至った経緯を、大事にしていたという証のように思う。立ち直ってしまったら、私にとっては苦悩がそれほどのものでしかなかったと証明してしまうような気がする。