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どれだけ打席に立ってきたか?

閑話・高学歴なカシコが仕事できるとは限らない話。

最近も百貨店の営業マンとメールのやり取りや催事関連の打ち合わせをしていてリレーションの悪さに苛立ちを禁じ得なかった。係長課長部長など役割を果たしてないのがほとんど。単に右から左に物事の伝達係に終始している彼ら。誰も責任を取らないし取れるとも思っていない。お客さんの方ではなく組織とゆう実態の無い「誰か」の方を向いて忖度を繰り返す。

大手銀行や区役所などの行政機関の対応も同じことが言える。未だ昭和の香ばしさが漂う。巨大な図体が時代に合わない超スローな動きで不毛な時間、無駄な書類が積み重なって仕事をした気になっている。偏差値競争や就職戦線を勝ち抜いて優秀と言われてきたカシコな彼らが何故にこんなに体たらくになってきたのか?を考えてみた。

教科書を覚えたり、誰かが決めた事に従順にこなすのは得意。しかし大きな組織にいると判断や責任をとる機会が20代30代には乏しく、ようやく40代になって少し決断しなければならないが最終ジャッジはできない。出世競争にのり50代にマネージメント側に入れればラッキー。しかし取締役会でも議決権は小さい。。。打席は回ってこないので本番に弱い体質になっている。

片や中卒や高卒で社会でバリバリ活躍してる人達もたくさんいる。何が違うのか?それは10代や20代からリスクをとって判断したり決断したりの「バッターボックスに立つ頻度」の違いかと思う。体力気力のある若いうちから打席に立ち本番をこなしているのとオッサンになってからようやくグランドに出るのでは機会量に大差が出る。

そんなバッターボックスに立つことのできない大手企業や官の中間管理職達が役立たない時代遅れの歪みとして露わになっている。淘汰の波は早くなってってるので、まー時間が解決してくれるかと。片や10代20代で打席に立ちまくりバットを振り回している若者も台頭しつつある。年齢や学歴なんてどんどん関係なくなっている。フェアに社会はなっていく兆候は喜ばしい。

これから初めて会う人達を見る視点として「どれだけ打席に立ってきたか?」老いも若きも関係なく否が応でも打席数が問われる。現実や現場、現在において現役で「バッターボックスに立ってきた頻度」ってのは重要なことかと切に憶う。

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