見ている人を見ている人を見ている
我ながら本気であきれていることがある。
ケーキとおいしいパスタのセットをなんと1000円で出す店がある。
味も良いし、店自体もとてもオシャレ、店員さんもとてもいい人、
でも店内がとても狭い。
少し腕を動かすと、臂が隣の人にあたってしまうほどに。
こうなるといやがおうでも他の客が目にはいる。
目に入れているのはあの客がどのケーキを選んだのかに限らず、
時に言動や家族構成もじろじろと嘗め回すように見つめて考察している
『いやいや、別にそんなの気にしなきゃいいのだ。気になる方がおかしい。』と毎回思うのだけど、気づくと目で追っている。
そんな自分がなんとなくコンプレックスだったけど、
これは私だけではないということに、昨日気づいた。
イチャイチャするカップルがいる。
それを見て「あの顔はない」と呟くあの子がいる
それを聞いて「何様だよ」と思いながらカップルの顔をのぞく私がいる
その様子を遠くでみている親子がこちらを見ながら談笑する
そして時々母親の方と目が合う
またその話になる
私達は互いを監視しながらパスタをすする。
他人だからこそ意気揚々と空想できて、勝手な妄想を楽しんでいる。
こうなると来店する客すべてが次々と新しいネタが回ってくる回転ずしのように感じ、私もその1皿のような気がしてならない。
この空間が息苦しく感じるか、
むしろ楽しんでいるのかは本当に個人差があると思う。
でも私達は時に残酷なまでに観察できる目玉を持っているということを、
忘れてはいけない。
三大欲求の1つをおざなりにしてまで考える必要なんてあるのだろうか