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多様性という言葉はセクシャルマイノリティのための言葉ではない
もうすぐプライド月間の6月がくる。
セクシュアルマイノリティという点に着目した多様性を伝えるものだと思っているが、様々な世代と関わる仕事をしていることから、多様とは何かをよく考えるんだけど…
この世界でこの時代で、たまたま少数派であることからマイノリティと区分され、たまに腫れ物のようにあつかわれる。
しかし、多様性とは『マイノリティを受け入れよう』という考え方ではないと思うんだよね。
かくゆう私にもそういう一面があり、いわゆるバイセクシャルというもの。
おそらく少数派の中のひとりで当事者だからこそ、多様性という言葉にひどく敏感になってしまう。
それぞれが幸せに感じることができる世の中であればいいのに…
生きているだけで大変なことなかりで、生きているだけで素晴らしい私たちだから、個々が尊重される世の中であってほしい。
そんなときに読んでいる本の一説にとあるフレーズを目にした。
本来の多様性は、一人ひとりのちがいに目を向けること。
自分と他人は違うのだという前提に立てばーーー
無理に同意することもなければ否定することもありません。
本質はここだとびびっと感じた。
アライの1人であり、当事者でもある私から言えるのは
"誰もが特別だし、誰もが普通ではない
だから、多様性って特別なものじゃない"
街中でもレインボーカラーをよく見るようになったからこそ、
多様性という意味をその捉え方を少しずつ、向き合って考えていきたい。
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