お話にならない話(今すぐ今曲の意味わからずとも)

    短期のバイトで、電話でお客さんの話を聞き、それを元に処理する仕事をしている。
    僕はこの仕事にとても苦手意識がある。人の話を聞くのが苦手だからだ。

    人が話しているのを聞くとき、すぐに意味を理解できない。①どんな音が聞こえているか②それはどんな言葉を形成しているか③それはどういう意味か  という処理が、頭の中で一つづつ行われている感覚があり、声が聞こえてから意味を理解するまで人より時間がかかる気がする。
    いや、僕の頭のつくりが特別ヘンなわけじゃなくて、他の人もだいたいこんなもんなのかもしれない。ただコミュニケーションに不慣れで時間がかかるというだけのことに観念的な理由付けをしても、ますます苦手意識が強まるだけで、あまり良くないことかもしれない。

    しかしそれにしても、昔から人より話を理解するのが苦手だという感覚が強かった。自覚し始めたのは、生徒会に入っていた高校のころ辺りからだ。生徒会の会議のときなど、みんなが何をどこまで話しているのかさっぱり頭に入ってこなくて、なんでみんな何食わぬ顔で理解して話を進められているんだろう、と思った。
    会話だけでなく、言葉による情報を頭に入れる事全般がどうも苦手なようだ。家で映画を観ていても、しょっちゅう「今なんて言った?」と思ってシークバーを戻してしまう。本を読んでいても、文字だけ追っていて意味が頭に入っていないことが多くて同じところを何回も読んだりしてしまう。単に集中力がないだけとも言える。

    とにかく「人の話を聞くのが苦手」という意識が最近の仕事上の経験でより明確になったのだが、これによってあることの理由が見つかった気がする。それは、僕が日本語歌詞の音楽を好きになる理由だ。
    歌詞は言葉ではあるけれど、それが音楽の一部であるとき、必ずしも聞いてすぐその意味を理解する必要がない。むしろ、意味よりも言葉の響きや雰囲気だけを感じ取る方が、歌詞の楽しみ方としてふさわしかったりもする。
    それに、音楽の歌詞は、ある程度時間が経ってから意味が掴めたり良さがわかったりすることがある。普通の文章だとワンセンテンスをそのまま覚えるみたいなことは中々できないが、歌だとメロディやリズムに乗せて、最初から最後まで覚えている歌詞がたくさんある。あるいは、何度も聴き返すことで同じ詞を何度も味わえる。その何回目かでやっと「ああ、いいことを歌っているな」とか「あっ、こういう意味を歌ってるんだ」とか気づきがあり、時間差で豊かな気持ちになったりする。

    普通の会話だとそうはいかない。特に、仕事での重要な話なんかは、お客の話をただ単に「音としてリズムがいいな」なんて思ってる場合じゃないわけで、すぐに意味を理解して対応しないと、文字通りお話にならない。後から「あっ、こういう意味のことを言っていたのか」と気づいても、それは豊かさをもたらすどころか単なる失敗でしかない。

    すぐに理解して対応しないと成立しないコミュニケーションなんて、歌を聞くことの時間的なゆとりに比べてなんて窮屈なんだろうと思ってしまう。

    僕は最近短歌にも興味を持っている。以前は、短歌を含む“音楽を伴わない詩”に対して、意味がすぐわからなくて楽しめないという苦手意識があった。しかし、自分は普通の文章でさえ意味を即座に理解するのが苦手だとわかって、意味をわかりやすく伝えるよりも別のことを優先している詩というものをもっと好きになりたくなった。中でも短歌という形式はちょうどいい長さで覚えやすいので、すぐに意味が分からなくても何度も繰り返しリズムとともに楽しむことができるという点で、音楽の歌詞とすごく近い気がする。

「すぐに意味がわからなくてもいい」。このことに感じる安らぎを、大切にしていきたい。

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