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映画感想「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」

2024年4月11日 ユナイテッド・シネマとしまえんにて鑑賞。
※内容のネタバレを含みます。

 最高!!!!
 「中川凰蘭役:あの」の報を聞いて膝を打ちすぎた時点で僕としては200パーセント勝ち確な映画化だったけど、予想をさらに超える満足度で最高だった…!

 自分は原作を1巻発売後くらいからずっと読んでいて、門出やおんたん達と当時年齢も近くて、人格形成の大部分を担っている漫画の一つと言っていいと思う。
 単行本派だったので、特に最初の方の巻は新刊が出る度に何度も読み返して内容をかなり細かく覚えていた。一方で後半の方は必然的に単行本を読み返す機会も少なくなり、加えて自分の年齢が上がり価値観が変わるにつれて漫画の作風に若干ノレなさを感じてきたこともあり、実は内容をあまり覚えていない部分もあった。
 結論を言えば、上記のような原作と自分の距離感が、今回映画版を観るにあたって最高の条件になったんじゃないかと思う。内容をよく覚えている部分は原作からの継承やアレンジの的確さに感動したし、あまり覚えていなかった部分ではシンプルにストーリーをもう一度楽しめた。そして作品の奇抜な設定や展開にすぐ入り込めたぶん、原作の核にあった人間の多面性への洞察の深さや、友情や信頼関係の温かさといった普遍的な魅力がより深く心に刺さった。
 逆に原作未読だと、複雑なストーリーが速いスピードで展開するので、ちょっとストーリーについていきづらいんじゃないかとも感じた。

 原作からのアレンジで一番大きいのはエピソードの語られる順番で、原作ではたしか終盤にあったおんたん視点の過去回想シーンが、前編である本作の後半部に持って来られていた。これによって、前後編の全体像が提示される2部作としてのわかりやすさに加えて、本作1本の中でジャンルがガラッと変わる面白さも生じていて、とても有意義な改変だったと思う。前半は変則的青春ドラマ、後半はダークなビジランテ物の趣があり、画面のサイズも変わるのが面白かった。

 また、原作でだんだん僕がノレなくなってきていた作者特有の露悪や誇張表現が、アニメ映画という複数の人の演技や演出が入り込むメディアになったことで、良い意味でマイルドになっていたのも良かった。そうしたメディアの変換によって、描写そのものは大きく変わらなくても、印象として原作よりも多層的なニュアンスを感じさせる描写が多くなっていたように感じた。
 例えば細かいところで言うと、亜衣が家族のことを初めて話すシーン。ここでは亜衣が両親のことを若干批判的な態度で話すが、その時にカットインされる両親の姿がいかにも庶民的で親しみやすいキャラデザと情景になっていることで、彼らの人物像が一つに固定されず、現実の人物と同じく色々な面のある人間だという印象を受ける。この作品に登場する多くの親子に共通する関係性の微妙さを端的に象徴するかのような、さりげないけど良い映像表現だと思った。
 また、やや空々しさを感じる卒業式シーンからの「仰げば尊し」をバックに凄惨な戦闘シーンが描かれる場面も印象的だった。原作では卒業式でスピーチをする代表生の描き方が露悪的誇張が過ぎるように感じたのが少しバランス良くなっている一方で、その描写に込められた国粋主義的な危うさに対する皮肉そのものの強さは増していて、ここも映画ならではの効果の上げ方だと思った。
 それでもまだ露悪的誇張が強すぎるままの部分も無いとは言えなかったけど、それもまた作家性を完全にオミットしていないという意味で必要な毒っ気なのではないかなと感じた。

 それから原作漫画特有の魅力としてあった、ビジュアル的な表現のフレッシュさも、考えうる限り最高の形で再現されていた。
 まずは、侵略者の円盤や兵器といったメカのデザイン。原作の作画では身近にある日用品をスキャンしてCGデザインに取り込まれていたが、その見た目が鍋蓋やルービックキューブといった元ネタが判別できるレベルのデザインになっている。僕はそれが「メカデザイン」なる漫画表現への挑発的なユーモアであると同時に、あまりにも日用品と似ていることでかえって非現実性を感じさせるという意味で理にかなったデザインでもあり、秀逸だと思っていた。このデザインが映画でもほぼそのまま踏襲されていて、保守的なデザインに変更されていなくてよかったと思ったし、漫画にはなかった「動き」がついたことで「小型戦艦ってこんな動き方するんだ」というような読者目線の新鮮さもあってよかった。メカだけでなく人物のキャラデザも、1キャラにつきどこか一つ極端なデフォルメがあるような独特の原作のデザインがちゃんと再現されていてよかった。
 また、原作で強烈に印象に残る「存在しないひらがな」のような文字で侵略者の効果音やセリフが表現されるのは、まさに純漫画的で他のメディアでは替えが効かないような演出だけど、映画でもできる限りの自然さで落とし込まれていてよかった。セリフが逆再生風になるのもありがちではあるけど悪くないし、効果音については例の“ひらがな風文字”がそのまま画面上に表れる演出で、映画の中でそこだけオノマトペ表現があったら不自然にもなりかねないとこだけど、「〇〇基地」「〇年後」というような字幕をたびたび挿入することでなるべく浮かないような工夫がされていると思った。

 しかし何より、本作の一番の成功ポイントは、やっぱり主演2人のキャスティングと演技に尽きると思う。
 “世界の中でこの二人だけが特別”というのが肝の話なので、主役二人を本業がアーティストの人が演じ、あとは実力派の声優が固める、というキャスティングプランはとても理にかなっているし、しかも二人ともトップクラスの人気アーティストで、わけても「おんたん=あのちゃん」の説得力は半端じゃなく、これ以上ない完璧な配役だというのは観る前から思っていた。
 実際観てからもその見立てに間違いはなかったけど、主演二人は思っていたより演技として浮いておらず、技術的にはプロと遜色ないように聞こえるレベルだったのが意外だった。二人の関係性の特別さを示す序盤のなんでもないシーンには落涙した。挑戦的かつバッチリハマった声優キャスティングの例として、後々まで伝説化するような作品になったんじゃないかとさえ思う。
 主役以外の脇のキャスティングもみんな良くて、誰一人紋切り型の演技に感じさせないところが、この作品の持つ複雑さに対してすごく誠実だと思った。個人的には、出番は少ないけど「高畠さん」の演技が(門出から見て)とても微妙な人物像を繊細に表現していて凄いと思った。

 ここからはものすごく個人的な趣味の話になる。
 本作には『ゴーストワールド』『スーパー!』『台風クラブ』といった映画を連想する場面があった。これらは原作を読んでた時の僕は未見だったけど、最近観て大好きになったいわゆるカルト映画だ。『デデデデ』って僕が極私的に好きなものとか、大切に思う価値観が詰まった作品だったんだなと改めて思った。
 あと、原作でおんたんは銀杏BOYZのTシャツをしばしば着ているんだけど、銀杏BOYZには酒鬼薔薇聖斗を元ネタにした「SKOOL KILL」という楽曲があり、その曲のことも思い出した。今作の中で描かれる「道を踏み外したルートの門出」が起こす事件の中には、原作の連載終了後に起きた現実の事件を連想させるものがあるけど(そのシーンをオミットしなかった映画制作陣の判断は、当然であると同時に、すごく立派だと思う。)、その展開は峯田和伸が酒鬼薔薇に向けた想像力と同種のものだと感じた。やはり自分は、社会からこぼれ落ちて道を踏み外しそうな人、踏み外してしまった人のために作られたような表現が好きなんだなと思った。

(一方、本作の巨大なオマージュ元である『ドラえもん』の今年の映画は、街頭ビジョンの前で「ニッポン!ニッポン!」と叫ぶような人のための作品に感じてしまったのが、すごく皮肉だ。)

 後編もいよいよ楽しみであると同時に、今回は諸々の個人的な好条件が重なっての衝撃と超好印象であったので、過剰な期待は持ちすぎないように、ほどほどの楽しみにして公開を待とうと思う。すごく良かった!ありがとう! 

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