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映画感想『福田村事件』

2023年9月17日鑑賞

 超満員のスクリーンで観たの少なくとも今年に入ってから初めてだ。補助席使ってるの初めて見た。
 事前に知らなかったけど字幕付き上映だった。より多くの人に伝わる仕様で良いなと思った。僕自身もセリフがわかりやすくなって助かったのに加え、主要登場人物の名前が表示されるので、一人一人に名前がある、という本作の重い訴えがより強く響くこととなった。

 森達也が劇映画を撮る、ということでかなり前から楽しみにしていたし、徐々に伝わってくる題材の内容や製作・出演陣の熱量を知るにつけ、どんな映画になるんだろうとドキドキしていた。

 事前情報でまず驚いたのは、井浦新、永山瑛太、柄本明、カトウシンスケ、松浦祐也、東出昌大、ピエール瀧、水道橋博士、コムアイあたりのキャスティング。
 間違いない俳優から、パブリックイメージはアレかもだけど信頼してる俳優、なぜキャスティングされたのかよくわからない異業種出身俳優まで、豪華で興味深い面々が大集結してて、どうなることかいよいよ想像がつかなかった。しかも、実際観てみたら全員名演ですごかった。特に水道橋博士の素晴らしい悪役演技にはびっくりした。
 このバラエティ豊かすぎるキャスティングのおかげで、正視に耐えないショッキングな題材でも、ある種楽しみながら2時間以上観ていられたのは結構大きい。

 永山瑛太演じる行商人が傷病人の弱みにつけ込んで粗悪品を売っている描写や、ピエール瀧の編集長があまり本心で喋っていない感じなど、単純な作劇なら役割の固定化をされかねない人物にも、ひだのある描かれ方をしている点が多くて良いと思った。
 虐殺の場面で最初に手を下してしまう人物については、もっと納得感のある描写がなされるのかと思っていたけれど、結構余白の多い人物なのが意外だった。でもそっちの方が、詳細の明らかになっていない史実に対して因果関係を限定しすぎないという意味で良かったのかもしれない。
 田中麗奈演じるお嬢様貴婦人の描写は本作ではちょっと浮いてて、可愛すぎるところも含めてなんか漫画のキャラみたいだなと若干思った。でも彼女の孤独や葛藤や怒りには十分共感できるキャラだったし、あの浮わついた感じは、当事者ではない気楽な場所から事件を眺めている、僕含めて多くの観客の立場とダブる存在にも見えて、そんなに悪く思わなかった。

 流言飛語の大元の起点が警察の工作にあるとの示唆ともとれるようなシーンがあって(※)、結構衝撃的だった。史実は諸説あるのだろうけど、そういう側面・可能性も確かにあるだろうなと納得できて恐ろしかった。と同時に、劇作品の話の流れとしてデマの恐怖の根幹が“権力による作為的な工作”に集約されるようにも思える作りなのは、矮小化になるんじゃないかとも若干思った。でもこの辺の問題意識に関して自分は全然自信無いのでなんとも言いがたい。
(※観てすぐはこういう印象を持ったけど、あの場面はよくよく思い出したら、警察らしき人が噂を流してる描写より先に町の人が噂してる描写があった。なのでフラットに観れば、“市井の人の流言飛語と警察の意図的な工作が同時に起こっている”というニュアンスのシーンだったかもしれないと、この文を書いてる途中に思い直した。実際の史実もそういう事らしい。でも当初の自分と同じような印象を持つ人ももしかしたらいるかもしれないし、この印象を起点に自分で考えて懸念点に思ったことや自分の問題意識に自信がないと思ったことまで含めて書き残しておいたほうがいいかな、と思ったので、こんな長い注釈をつけていびつになってしまったけど、この段落は残したままにします。)

 史実通りに虐殺が描かれる映画だと知っているのに、日付が事件当日になって舞台だてが揃っていくにつれて「頼むから事件が起きないでくれ…!」と思いながら見ていた。
 その後の各々の反応、特に水道橋博士の元軍人や豊原功補の村長の、愚かしくも哀れな姿には不意を突かれるように胸を打たれた。実際にはもしかしたら、こんな事態を起こしても罪悪感を感じないまま(感じようとしないまま)生きていく人もいるのかもしれない。けれど、フィクションである本作の中では、彼らの罪と苦しみは映像に焼きつけられ永遠に消えないように感じられ、その重大すぎる結果が痛々しかった。

 エンディングに流れる鈴木慶一のスコアもよかった。シンプルなだけに頭に残って引きずるような余韻があった。歩いて帰ってる間ずっと頭の中で鳴り止まなかった。

 ネットの反応では脚本の荒井晴彦による部分、特に性愛がらみの描写が批判されているようで、言われて観てみると確かに作品全体に比してバランスのおかしな性描写だとは感じたし、まあ批判もあるだろうなと思った。
 でもそれは“日本映画の悪癖”と一般化して切り捨てるようなものでもないというか、個人の作家性の問題だとも思う。
 指輪を巡るサスペンスとか、柄本明の家の件とか、地震発生時(!)に起こっていた不倫のシーンなど、“人間くささの描写”としても明らかに筆が乗りすぎている。そこだけ別種の映画みたいな面白さになってしまっていて、そういういびつなところも魅力になってる面もあるかもな、と自分は思った。

 そんなふうに、今回は森達也が100%個性を発揮した作品では全くなくて、むしろ森達也を旗印に集った人たちの映画であるようだった。現場も井浦新が座長的に動いてたらしい。
 なので森達也の作家性が非ドキュメンタリー作品に出るのを楽しみにしていた自分にとっては、それよりも森監督以外の作り手の熱量や個性を強く感じることが出来たのが意外だった。
 森監督には、今回より森色強めの劇映画もいずれ撮って欲しいと思った。

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