人より苦労したからって、人より幸せになれるわけじゃない。
私の仕事は概ね個人プレーだ。
自営業とか歩合制の仕事ではなく、いわゆるサラリーマンではあるので、上司というものはいるのだけれど、複数ある自分の担当の案件それぞれに、別の上司がついていて、包括的に私が何をやっているか分かっている人はいない。
ついでに言うと、人によって、やっている仕事も異なるので、上司や先輩に仕事を聞いたとしても、分からないと言われることもしばしばだ。
そんな状態なので、本当かどうかは知らないが、傍から見ていた先輩に言わせると、たまたま私が担当する案件は面倒なものが多いらしい。
そんな時に決まって言われるのは「今苦労しておけば、後々楽になるよ」という言葉だ。
この言葉を何度聞いたか分からない。
体罰とスパルタで有名で、3年に1度は生徒が自殺する、甲子園のスポンサーで有名な新聞に叩かれたこともある公立高校に進んだ時も「ここを生き抜けたならどんな所でも生きていけるから頑張れ」と言われた。
新採で就職した最初の部署でも「ここが我社で最もメンタルにくる部門だから、ここを乗り切ったらどこでも生きていけるよ」と言われた。
最初の転勤先では、「ここが我社で最も残業時間が多く、かつサービス残業をさせられるブラック部門だから、ここを生き抜けたならどこでも生きていけるよ」と言われた。
で、結局私は楽になったのか? 先程述べた通りだ。
努力すれば報われる、とか、正義は必ず勝つ、という心理的な偏見を、公正世界仮説というらしい。
これは、理不尽で不条理な出来事を見たり聞いたり体験した時に、もしかしたら自分もそんな体験をするかもしれないという未来への不安を払拭して、自分の心を守るために、心理的に生み出された論理だという。
苦労した人は報われる。
正義は必ず勝つ。
悪い事をした人にはバチが当たる。
ズルをした人にはそれ相応の結果しか出ない。
だから、理不尽な目にあっているひとは、何かしら悪い事をした人のはずだから蔑んでいい。いじめていい。
そう考えることで、理不尽な世の中でも頑張れる、という考え方だ。
でも、実際はそうじゃない。
交通事故にあった人が、みな悪人だったかというとそうじゃない。
信号待ちをしていて子供が、突然暴走してきた車にはねられて死んだとしても、子供のせいじゃない。まして親のせいでもない。
いじめられる人が悪いのではなく、100パーセントいじめる人が悪い。
そして、苦労したからって次にまた別の苦労がやって来ないわけではない。
残念だけれども、人より苦労したからって、人より幸せになれるわけじゃない。
そして、人より苦労したからって、誰かに尊敬されたり、誰かを救えるようになるわけじゃない。
それでも「今苦労したら後で楽になるよ」という言葉には意味がある。
その言葉は、「あなたの苦労を私は理解しています。そしてそんなあなたを無下に思っていないから、辛い思いをしているあなたを元気づけてあげたい」というメッセージでもあるからだ。
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