映画「おんなのこきらい」と承認欲求。人は「飾らないで生きる」ことによっても救われない話。

2年前、友達なし、信頼出来る家族なし、安心して居られる居場所なし、の無い無い尽くしだった私は、とにもかくにも、誰かに「お前は生きていていいよ」と言われたかった。
それを他人に言ってみたら「誰かが自分のことを〘 生きていていい〙なんて、言ってくれるわけないじゃん。自分で自分に言うしかないんだよ」と笑われた。

「おんなのこきらい」という映画がある。

主人公キリコは、男性から見て「かわいい」女の子である。
「女の子はかわいいさえあれば、生きていてよい」という考えを持ち、マカロン、ショートケーキ、その他諸々のお菓子を過食しては吐き戻す。
職場では男性たちに媚びを売りまくり、女性職員からは嫌われる。
行きつけのバーにいるユウトが好きだけれども、友達以上恋人未満の関係にいる。
ある時、仕事で、かわいい雑貨のデザイナー高山に仕事を依頼しに行ったところ、高山が、同じ専門学校の卒業だと知る。
いつもの媚びMAXの笑顔で対応するも「そういうの疲れない?」と高山には本性を見透かされた発言をされてしまう。

媚びを売っている頃のキリコを見ると、「あー、いるいる、こういう女性!」と首を上下に振りたくなるし、なんなら、その女性を思い出して吐き気がしたりしないでもない。しかし、これは映画でここで終わるはずがない。

その後ユウトに「お前は自分のことしか考えてない」と、バーに新しくアルバイトに来た、誰とでも寝てしまう「断れない優しい私♡」な女性にあっさり乗り換えられてしまう。
自暴自棄になって酔いつぶれてたら、職場の別の女の子と恋愛をしているはずの男性職員となりゆきで寝てしまい、さらに自暴自棄になって髪の毛を自宅のハサミで八つ裂きにする。
高山に電話をして呼びつけると、この優しい(というか優柔不断?)男は「今の方がかわいい」と言って、キリコを立ち直らせるも、実は本人は彼女もち。
2度の失恋により「わたし、何も持ってなかった」と気づくキリコは、男ウケする「かわいい服」をやめて、高山が「かわいい」と言ってくれた「ボーイッシュ」な態度もやめて、元の媚び売る笑顔に戻っていく。

キリコの「かわいい」は本人も言うように「生きる知恵」だ。

実際、かわいい女の子は「かわいい」だけで生きていけるし、キリコの末路のように「かわいいだけじゃだめ」なんて思う男性は少ない。そして、世の中は、まだまだ女性に「お茶くみ要員」とか「飲み会でのキャバ嬢の代わり」を求めているし、古い体質の職場では、不倫による遊び相手を探す場所として職場を活用している男性も多々いる。

それは、女性ならば生きていくのにどうしてもぶち当たる壁で、いくら能力があろうと「女であること」から男性と同じ立場には立たせて貰えない。キリコが言うように「そもそも、かわいくなければ、女の子なんて見ても貰えない」のが現状で、男性社会で生き抜いていくには、顔が良い彼女にとって媚びを売って売りまくるのは、自然な生存戦略だったんだろう。

そして、人間は承認欲求というものをもっていて、「誰かに生きていていい」「あなたが必要」「あなたが好き」と言われたい生き物だ。

自分で自分に「生きていていいよ」と言える人ではなかった私は、全くキリコのことを笑えない。

摂食障害をもつキリコは、とにかく承認欲求が強い。終盤高山にも「私の事愛してよ!」と叫んでいる点、髪を切った後も、「高山が好き」というよりかは「私のこと愛してくれる高山が好き」でしかない。
だから結局「飾らない自分」のフリした「ボーイッシュ」なキリコも、結局キリコ本来の自分ではなくて、そもそもキリコは「何も持っていない」から、「自分らしさ」も持ってはおらず、この物語は、実はスタートから何も変わっちゃいないのだ。

自分らしく生きれば、世の中生きやすくなる、ということも嘘八百で、そもそも「自分らしく」なんてものを持ち合わせてる人自体そんなにいない

さて、キリコのことを笑えない私は、どうやって生きよう?

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