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《匿名インタビューエッセイ》vol.01:プリズム

出会いをモノにする力と行動力。
とてもアクティブでポジティブな陽のオーラを放つ彼女の生き方を語るのにこのキーワードは欠かせない。

大人になって振り返ると、あまり恵まれた家庭環境ではなかったように思う。当時はそんなことを感じずに生きていたが、少しずつ彼女のなかに蓄積されていった澱を言語化する機会をくれたのは中学3年生のときの担任教員だ。
「ねえ。何か思ってることがあったら言ってみて。」
彼は何かを知っていたのかもしれないし、知らなかったが感じ取っていたのかもしれない。もしくは、特に意味もなくただ気軽に声をかけただけだったのかもしれない。
それでも彼女には充分だった。その言葉をきっかけに彼女は自分の内に抱えていたものを少しずつ言語化することができ、「わかってくれる人がいる」ということだけで救われる気持ちがあることに気づいた。少なくとも彼女は、この一言をきっかけにこの担任教員にとても救われたのだという。
将来は中学校の先生になりたい。
そう彼女が心を固めるには充分すぎる経験だった。
高校3年生になっても変わらず中学校の教員を目指していたが、どうやら実家から通える大学ではそれが叶えられないらしい。「自宅から通える国公立大学」という親の意向に沿いつつ中学校の教員になる夢を諦めずに済む方法はないだろうか。彼女は大学の事務局に電話をかけていた。自分の事情と気持ちをまっすぐに伝えた彼女に、電話口の担当者はこんな問いを投げかける。
「あなたは『中学校の先生』になりたいの?それとも『先生』になりたいの?」
なんということだろう。彼女には衝撃だった。灯台下暗しとはこのことなのだろうか。答えは明白だ。中学校に何らこだわりはない。そう伝えると「であれば、うちの大学でもあなたの夢を叶えられる環境は充分に整っているんじゃないかしら。」と、その大学の教育課程がいかに素晴らしいものであるのかを説明してくれた。
運命的というには些細な出来事だが、彼女の人生はこうやって望む方へ願う方へと進んでいく。

昔の私がしてほしかった教育をしたい。
小学校教諭になってからの7年間、大変なこともありながらも総じて楽しくやりがいをもって子どもたちと携わってきた。転機が訪れたのは8年目、特別支援学級の担任の命を受けたときである。
「転職したのかな?と錯覚を覚えたほど」だと彼女は言う。それは子供たちの特性によるものではない。通常学級は児童40名を1人で担任するが、特別支援学級では最大8名。それまでも子どもたちとしっかり向き合ってきたのだが、8名と40名とでは目と心の届き方が違う。
ここで彼女は「ひとりひとりの子どもを見る」がどういうことなのかを本当の意味で体感することになる。ひとりひとりにカスタマイズした学びを提案することで、彼ら自身が自分の強みを認識し、自分の強みに合うやり方で学びを深めていく。その様子をそばで見守るうちに、これこそが教育のあるべき姿なのではという思いが彼女の中で強まっていった。
特別支援教育コーディネーターの活動も並行して行っていた。保護者と面談をして必要な医療や福祉の連携をしたり、子どもたちとの適切な関わり方について先生方にコンサルティングもした。色んなタイプの色んな先生がいるが、話を聞いていくと全員が「子どものため」を思って教育に携わっている。けれどもそれが時に一方通行であったり、子どもが望んでいない教育になってしまっている実態を彼女は目の当たりにした。
「教育を良いほうへ」と変えていくには「子どもたちに何をするか」だけでなく、先生や保護者を含む教育に関わるすべての人を包括的にサポートをすることが必要なのだ。
そのために私ができることは限られている。力不足を感じた彼女は自ら志願して大学院の修士課程で特別支援教育を専攻し、2年間研究を深めた。様々なことを学んだが、一番大きな収穫は「他人を変えようとしないこと。まず自分が変わること」だったという。
再び小学校に戻った彼女の目に映るのは、以前と同じ教育現場の様子。けれども彼女には「まったく違う世界」が目の前にあるように感じた。子どもたちや保護者への関わり方が変わったことで手応えを感じ、同僚である先生方と協働できている実感もあった。

ほどなくして産育休を取得、現在は2人目の子どもの育休中だ。パートナーの仕事の都合で縁もゆかりも無い地で暮らしているが、ここでも彼女は運命を手繰り寄せる。
「短期間なので住民票を移してなくて、保育園には通わせられないと思ってたんです。でも認可外(保育園)なら行けるよって教えてもらって。たまたま上の子を通わせることになった託児所の取り組みがとっても素敵なんです!」
園に保育をお願いできるのは週に3日。あとの2日は助産師相談会や料理教室や座談会といった親子のためのイベントや、園が運営する子ども食堂の取り組みを行っている。「親と園とで一緒に子育てをする」という方針のもと、認可外だからこそできるこれら取り組みを行う園からは、親としても教育者としても学ぶことが多い。園長や職員はもちろん、その方針に賛同する保護者と繋がりを得られたことは何にも代えがたい。

彼女の人生の節目には毎回とてもラッキーなことが起きているように見えるが、どれも彼女が行動しなければ出会うことはなかった。なんでもない言葉を彼女は取りこぼさない。
本当にラッキーですよね、と彼女は笑っているが、自ら起こした風に乗ってやってきたチャンスを逃さずキャッチしてきた結果である。彼女は今の自分に何が足りていなくてもっとどう伸ばしたらいいかも知っている。
歩みを止めない彼女は行動し続け学び続け、考え続ける。

育休中の現在も彼女は社会人大学院生として、オンラインで博士課程の研究を続けている。
育休が明けたら小学校教諭として復帰するんですか?それとも大学院生ですか?との問いに、彼女はまた歌うように笑って「ご縁があれば大学で教員を目指す学生さんたち向けに教えることもやってみたいんですよね」と言う。さらに「将来は夫と一緒にカフェをひらいて、お子さんや保護者の”居場所"を作りたいんです」とパートナーとの素敵な計画も教えてくれた。

彼女の纏うオーラは、朝日のようなまばゆい明るさ。
たぎる炎のように独りよがりの暑苦しさはなく、肌を焼くようなジリジリとした押しつけがましさもない。思わず吸い寄せられていく、澄んでいて清々しく気持ちの良い、そして子犬のようなチャーミングさには、この人の力になりたいと思わせるパワーがある。

彼女は今後も偶然を必然にし、可能性を広げながら素敵な仲間と出会うだろう。
人との繋がりを大切に行動し続ければ、1人では叶えられない夢みたいな未来も現実になる。

自分を諦める子どもが1人でも減りますように。
1人でも多くの保護者と教員が楽しく教育ができますように。
誰しもが自分の強みに気づける世界が訪れますように。




《匿名インタビューエッセイ》とは?
どこかのいつかの誰かの話。
主人公が匿名のインタビュー記事。
オリジナルでスペシャルな誰かの人生を、ayano色でエッセイに。



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