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noteを50記事書いたのよ

これがnoteの52記事め。
2024年1月3日にnoteに登録して、最初の1週間は毎日、そこからは毎週、週に2記事アップを目標にしてる。

習慣化できてきているし、総じていい感じである。

とはいえそんなに書くことある??って不安だったけど、毎回1000字は余裕で超えるし書けてる。良文駄文はさておきなんだかんだ書けてる。

息切れしないように、サステイナブルなnoterになれるように、とストックをためてるのだけど。
最近ストックが増えてきてしまいむしろ熟成気味。
週に3記事でもいけるかな。やってみよかしらん。


もともとインスタに投稿するのが好きで「お、これはインスタに投稿できるかも」という視点で物事を見る癖があった。
でもこれって結構危険で。
インスタにあげれるかも、が、インスタにあげたいから、に動機がすり替わっているときも少なくない。
映える風景やイベント、お菓子、服。
日常を切り取ってシェアする、が、シェアするために準備したワンシーンを切り取る、感じ。
やっちゃってたなーーー。
そっからのコレだったし。

話が逸れました。

noteを書くようになって「あ、これnoteの記事になるかも。」という視点を持つようになったのが、私にとってとてもとても良かったことのひとつ。(字面がとてとてしている。)
インスタはその瞬間一部分だけ映えれば簡単に切り取れる。
でもnoteはそこに思考が必要。
キーワードがポン、と浮かんでも、そこに興味を持てないと。
興味が持てても思考ができないと。
思考ができても自分に納得感がないと。
文章が書けない。
ちょっと見栄を張って美しくきれいな文章が頭の中に浮かんでも、納得感がないとうまく書ききれない。ドロドロした感情でも、そこに思考があれば面白いくらいに筆が進む。お、これは書けそうだぞ、って思っても、いざ書き出すと全然書けないこともある。ん”ー!こんなことが言いたいんじゃないのに!っていうもどかしさもある。
「そんな感じ」を安易に多用しがちだけれども、noteを書きながら思考が進むこともあって、私の思考の深堀りに一役も二役も買ってくれているの。

先日読んださとゆみさんの『書く仕事がしたい』にもこんな一節があった。

ところで、私はいま、子育てに関するエッセイを連載しているのだけれど、このエッセイを2週間に1回納品するようになってから、子どもの言葉にものすごく真剣に耳を傾けるようになりました。
(中略)
すると何が起こったかというと、
「ママ、最近すごく優しくなった。僕の話をちゃんと聞いてくれるようになったよね」
と、言われるようになったわけです。

「書く仕事がしたい」 佐藤友美さん

分かるなーーー。
先日のお弁当箱のくだりなんて、まさにそうだったのではないかしら。

記事にするには、(と書くとたいへんいやらしいのだけど、)
これをしたら何が起こるのかな、子どもたちはどういう思考し行動するのかな、と観察したくなる。
観察しながら、目の前の事象へのワクワクと好奇心が勝るのだ。

と書いたものの、実際には目の前の2人の少女の行動に目と手を届かせ、2人の絶え間ない言葉を打ち返すのに精いっぱいではある。
ので、目の前の事実をしっかり見て聴いてその時感じたそれなりにセンセーショナルなことは心に書き留めて、帰り道や夜に掘り起こす。
あ~、楽しかったな~だったり、怒りすぎちゃったな~だったり、もっと〇〇できたよな~だったりの一次感情で終わらずに、そこから思考を深める機会を得た、という感じだろうか。

改めてありがたいプラットフォームです。
noteさんありがとう。


次は100記事目にこういうの書く。
定点観測でどれだけ記事としての文章がうまくなってるか見ものですな。

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