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何回投げても裏が出る

久しぶりに次女が発熱した。
夫のコーヒー淹れを手伝っていた長女が腕と足をやけどした。
翌日も猛省中の夫はガラス小物を落として割り、あらあら~と他人事で見ていた私が夫の皿を持つ手を滑らせた。
玄関の盛り塩を変えた朝、起きてきた長女の手足には発疹が。
私は1日越しのガラス小物の破片を踏んで足の裏から出血。


なんだこれ。
なんなんだこれは。

ひとつひとつは些末な出来事。(※やけど以外ね。)
それでも重なるもんだから、おやおや?である。


私がお皿を割ったくらいから夫と顔を見合わせる。

おや?とは思いつつ、ポジティブ夫とその夫と10年一緒にいる私が考えることは一緒だ。

発熱だけで食欲も元気もいっぱいでよかったね。
やけどは絶対再発しないように。でも腕と足だけでよかった。親が隣にいるときでよかった。すぐに冷やしたから痛みも出なくてよかったよね。ましてや次女が足元ウロウロしてるときじゃなくて本当に本当によかったよね。
子どもたちが近くにいるときに割れなくてよかった。
もっと早く子どもたちが割っちゃうと思ってたから長く持った方だよ。
発疹だけで元気はあってよかった。
久しぶりに予定のない週末で良かった。
ガラス片を踏んだのが子どもじゃなくてよかった。

ひとつひとつにそう解釈をつけてから一息。

なんかこれ、何か大きなやばいことの代わりなのかな?


パートナーがポジティブなのは良いことだが能天気なのは困る。
危機感があるのはいいが無駄にオロオロ心配しないでほしい。

このあたりの温度感、もしかしたら正確には一緒ではないのかもしれない。

でも、そうあってほしいと思う価値観をお互いに言葉に出して、相手が「確かにな」と思い「そうだね」と言える言葉を選べていること、それを言っても大丈夫だと確信できる態度でいてくれるパートナーに感謝である。



先日読んだ科学者の本で、確率論の「ランダムウォーク理論」を知った。

コイントスを1万回繰り返すことを何度やっても、およそがどちらかに200~300回偏り、表と裏が半分半分・1万回すべてがどちらか、ということは起こらない。

人生も同じ。
絶対に幸せしか起こらない人生も不幸しか起こらない人生もないし、幸せと不幸が同じ数だけ起こる、と言うこともない。
ただ、たまたまアンラッキーなことが続くとこんな感じで不安になるし、逆にラッキーが続き過ぎても「このあととんでもない不幸が起こるのでは…」とやはり不安になるものである。とその科学者は続けていた。
そして、そのアンラッキーを「どうせ」と取るか「でも」とラッキーを見出すかはその人次第である。


結局は気の持ちようってこと!
科学者の著書でまで言われてしまったら、ますます自分の気持ちをどれだけヘルシーに保つかが人生すら変えていくのだよねえ。

と、アロンアルファでお皿にくっついてしまった指先をゆっくり離しながら思考したんだわ。

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