はじめまして、こんにちは。
現時点(2022年12月23日)で2歳と0歳の男の子を育てているノノと申します。
私は、2021年11月に長男の出産でお世話になった産院の先生に「双子ちゃんだねえ。一絨毛膜二洋膜だよ。」と伝えられました。
当時はそれはそれは浮かれていました。
「妊娠、出産は奇跡の連続」とよく聞きますが、長男の出産に至る過程は何事もなく順調でした。
出産もコロナ禍で一人で陣痛に耐えたり、看護師に「先生、年に一回しか飲み会に行かないんだけど……、今日がその日で15時に先生帰っちゃうけど別の先生来るから大丈夫だよ。」と言われたり、夜に生まれると言われながらも先生が帰宅する14時半頃に生まれ、股を縫われながら「先生!残業になっちゃうよ!」と言える程には元気でした。
なので、次もきっと大丈夫だろうと安心しきっていました。
何回かの通院の際に「片方の子が小さいんだよね。TTTSって知ってる?コウノトリで取り上げられていたんだけど。」と言われました。
突然の宣告に戸惑いながらも家から近い産院で双子の出産は出来ないからと総合病院へ通院するようになりました。
総合病院に通院している間は順調のように見え、先生からも「羊水は二人ともちゃんとあるから大丈夫。」と言われましたが漠然とした不安に襲われていました。
それから数日後、激しい腹痛があり急いで総合病院に駆け込みました。
救急だったので担当の先生ではありませんでしたが、運良く県で一番大きなS病院の先生がおられたので診て頂くと「胎児の大きさが違いすぎる、ちょっと詳しい先生に電話してみる。」と言われました。
(※腹痛は尿路結石だったので投薬で半日で治りました。)
電話を終えた先生は「手術した方がいいかもしれない。ここからならY病院かO病院が近いけどO病院なら友達がいるから今確認するよ。」と言い、O病院を紹介して貰うこととなりました。
紹介状を二日後に総合病院で受け取り、その足でO病院のある土地へ向かう予定だったのでその日は帰宅して二日間は準備と長男と遊ぶだけで過ぎました。
移動当日に総合病院に行ったところ紹介状が出来ておらず、総合病院の先生には「行かなくて良いと思うよ。大きさは違うけど羊水はあるから。」と言われましたが信用できずにいました。
そんな私を察してか「じゃあO病院の先生にデータ送るから、その判断で決めようか。」とデータを送って一時間後には「やっぱり急いで行った方が良いって。」という言葉を言われO病院に行く事になりました。
その日は大雪警報が出ていて、空路も陸路も進めない所が多く鈍行で止まりながらも進む電車に揺られ248kmを移動しました。
この先のノートには長男と離れて暮らした五ヶ月や、
総合病院の先生がおそらく誤診する理由となったSelective IUGRの闘病や
胎児鏡下レーザー手術、手術の三ヶ月半後の三男の心拍停止、
心拍停止に伴う破水、二ヶ月半も早く来てしまった陣痛による緊急帝王切開。
意識が朦朧とする中、「次男ちゃんの看取りをしてください。」と言われ、
敗血症で今にも息絶える寸前の次男のただ見ていたあの日、
脳出血し、水頭症と診断され頼むからもう出血しないでくれと願ったあの日、
動けないかもしれない、透析のようなものが必要かもしれない、
長い長い闘病生活を耐えた次男の話や
三男の棺に沢山の花や手縫いの玩具、手紙を詰めた事、
火葬ボタンの前で最後に絵本を読んであげたら涙が止まらなかった事、
今思い返しても辛くなる事をいつか次男に「S坊という君と同じ顔をした男の子がいたんだよ。」と話す時の為に記憶を残そうと思います。