2021年12月〜1月:sIUGR診断と手術へ
豪雪の中、紹介を受けたO病院へ電車と新幹線を乗り継いで向かいました。
新幹線駅の途中で学生の頃に住んでいた街を通過しながら「楽しい用事で来たかったなあ。」と思った事をよく覚えています。
病院に到着し、早々に診察を受けた結果TTTS(双児間輸血症候群)ではなくsIUGR(一児の胎児発育不全)の診断を受けました。
TTTSはTwitterでもいろんな方が漫画にしたり、言葉にしているので知っている方が多いと思いますが羊水量の差で病気が発覚する事が多く、実際に総合病院の先生も羊水の量だけ注視していたように思います。
私の場合は二人共の羊水量にそんなに差はありませんでしたが、一児の大きさがとても小さく臍帯血流が途切れていると診断されました。
最終的に亡くなった三男の臍の緒の位置や細さを病理解剖結果を聞きはしませんでしたが、出産後に受け取った三男の臍の緒は長男や次男より細かったです。
TTTSの場合は胎児鏡下レーザー吻合血管凝固術にて二人の繋がっている血管を焼き切り、血流の流れを遮断する手術を行う事が主な印象を受けています。
sIUGRも同様ですが、sIUGRの場合は片方が亡くなった際に生きている方の胎児に影響が及ぶのを止める事、手術を機に小さい方の胎児に良い影響があるのを期待する、ただ手術の影響で亡くなってしまうかもしれない大雑把ではありますが今の私が覚えている事はこのような内容であったと思います。
手術を行うかどうかは私たちに委ねられていましたが、何か望みがあるのならば出来る事をしようと手術を受ける事に決めました。
学生時代は地元とは別の場所で暮らしていましたが、年越しを地元以外で過ごすのは生まれて初めての事でした。
地元とはまったく違うおせちや年越し蕎麦、お雑煮を初めて食べましたが寂しくなった事をよく覚えています。
三が日が過ぎてすぐに手術を行いました。
全員生存する確率、一人亡くなる確率、全員亡くなる確率、そんな資料を見ては不安になったりしていましたが、出来るだけ明るい気持ちで挑もうとマツケンサンバⅡやニホンノミカタを聞いていたと思います。
手術中もYouTubeで好きな曲が流せると言われたので「定期演奏会 吹奏楽」で検索して手術に挑みました。一曲目はアルヴァマー序曲でした。
そんな状態で挑んだ手術は無事に成功し、全員の生存と三男の血流の途絶は無くなるという結果でした。
しかし数日御に手術の影響で穴を開けた場所から羊水が漏れるという事態になりましたが、二週間で穴は塞がりO病院を退院出来る事となりました。