「生きていくにはお金がいるねんで」
3か月前、
車で見送ってくれたときに
わたしがてぶくろを忘れて
戻ってきてくれた父の優しさに
心がじんわりしました
自分の今の現状や過去の出来事を
赤裸々に話せた ある人に、
「成熟されてたんやろうね お父さんは」 と
父のことを人に肯定的に言われ
有難いなあ と
第三者を通じて
父の偉大さを 懐の広さを 改めて感じました
以心伝心かのようにその日に父から
「元気にしていますか?
頑張っている写真か動画を送ってください」と
LINEがあり
会いたくなって泣きました
学校へ行くのをやめて
15歳で珈琲焙煎家になったという
おなじ アスペルガーの岩野響くんの本を買って読んだときに
父が
「いつでも わしらは
ずっと なにがあっても 真子ちゃんの味方やからな」
って
まっすぐ目を見て言ってくれたことを思い出して
なんかわからんけど喫茶店で涙がぼろぼろ流れて止まらなくなりました。
家族のサポートがあって
もう自分の生き方を確立している岩野響くんの生き方がまぶしかったんやと思う。
浜田省吾の話になって
ひさしぶりに曲を聞いて
父の大ファンの影響で
小さい頃ずっと車で聞いていたから
するする歌詞が出てくる自分に気づき
会いたいなー と 思いました。
( 焼け付く砂漠で見上げた太陽
綺麗な街みとれて ~ )
病気でも保険証がなくて受診できず困ったわたしは
父に電話をかけることにしました。
いつも一回で出てくれるけど今日も一回で出てくれました。
そしたらなんか安心したのか
疲れていたのか
いつもの事やけど
自分の気持ちを伝えるのにいっぱいいっぱいなっていたのか
涙がぼろぼろ溢れてきていました
電話ごしでは気づかれないように
鼻が花粉でグスグスしてるわ〜といつも以上に笑ってごまかしました。
言葉では言いづらい"いつもの感じ"にホッとした。
電話しても1分とか10秒とかやのに
今日は40分ぐらい話しました。
「元気そうでよかった」と言われました。
それが心にささって
元気で笑ってるのが一番の親孝行かなとか思った
けど
はやくやっぱり親孝行したいなあ。
いつになるかな。
なんでも人より一歩も二歩も遅いわたしを
23歳やけど 年相応にはまだ程遠いわたしを
……なんかまとめられなくなった。
↑ずっと引っかかっていた浜田省吾の曲の題名が分かった!!!!めっちゃすっきり。
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