あの頃大好きだった場所
はじめまして、ののちゃんです。
ある人からの勧めで、noteを始めてみた。
どんなnoteにしていきたいか、まだ定まっていないけど、文章を読んだり書いたりすることは好きなので、模索しながら進めていくことにします。
初めてのnote投稿は、
人生で一番とがって(?)いた高校〜大学時代の私の話をしてみる。
私は、現在都内で働くふつうのOLで、
一人暮らしをしているけど、
元々は北海道函館育ちで、
高校は地元の商業高校に通っていた。
高校までは人生のお手本となる人なんて、周りに一人もいなかった。尊敬できる人もいなかった。
私の高校では男子同士のいじめがあったり、
女子は外見至上主義で、圧倒的なスクールカーストが存在していた。
知りたくなくても色々な情報が耳に入ってくる
あいつが優秀、あの子が可愛い、家が金持ち、貧乏
優劣、格付け、上下関係、
あちこちで声高らかに語られる。
外に出たら大したことはないのだけど、
外を知らないから、狭い世界だけで繰り広げられる
田舎は陰湿。
ある日、4つ上の兄が高校3年生の頃、
「大学に行きたいから学費を払ってくれ」と、
両親に土下座をして頼み込んでいるのを見た。
うちは裕福な家庭じゃない。
だから、子どもがやりたいことがあっても、お金がかかるようなら、両親は簡単に賛成しない。
「親なんだから、応援してあげればいいのに。。お兄ちゃん、負けるな!」
と、心の中でちいさくエールを送った。
4つ上の兄は、外に遊びに行くことが多く会話こそゆっくりしたことはなかったけれど、やはり家族だ。兄が大学に行きたいなら、無条件に応援したいと思っていた。
わたしも、大学に行きたいな。
その時から思うようになっていた。
大学に行きたいというより閉鎖的な田舎から抜け出したかった。環境や人間関係をまるごと変えたいと思っていた。
東京でキラキラしたキャンパスライフを送りたいとか「東京に行けば何かが変わる!」なんて淡い期待があったわけではなく、今いる場所から抜け出せればそれで良かった。函館脱出計画だ。
兄の大学進学が決まったため、
我が家のお金は底をついていた。
私の分まではお金を出してもらえないということはわかっていたから、大学の受験料も、上京する引っ越し代も、入学金もすべてアルバイトの貯金で賄った。
晴れて東京の大学に合格し、北海道を離れて行く時、
あんなに出たいと思っていた場所なのに、
悲しみなのか、これから一人でやっていく心細さなのか、飛行機の中でこっそり泣いてしまった。
初めての東京での一人暮らしは、色々なことが起きた。
最初に選んだ物件は
西東京にある駅から徒歩8分の線路沿いにあるロフト付きのワンルームだった。
広さは4.5畳、家賃が4万円台。
今ではそんなの激ヤバ物件だと選別がつくのだけど、 そんな知識もなく、とにかく安い物件!という浅はかな考えで、即決した。
そのアパートには、
狭い敷地にどこの国籍かわからない外国人が家族連れで暮らしていたし、
壁がゲキ薄で
隣人の営みの声も丸聞こえだった。
「失敗したなぁ」と入居してすぐに感じた。
バイト帰りに愉快犯にあったり、
近所のコンビニでたまたま居合わせた人から後をつけられたり、色々と散々な目にあったから気が滅入ってしまって、1年ほどで引っ越しをした。
安いものにはそれなりの価値しかないことを
上京して初めて学んだ。
実家からの仕送りはなく
家賃やら、食費やら、生活費の諸々自分持ちだったから、お金に余裕なんてなかった。
だけど、
大学では出会いに恵まれていて、
入学してすぐに仲良くなった同じ学部の男の子2人とその友達、計3人の友達に引っ越し作業を手伝ってもらった。
レンタカーで迎えに来てもらって
段ボールをせかせか運び、新しい住居へ移動する。
引っ越し作業を一台のレンタカーですべて済ませた。
引っ越したその日の夜は、荷物の整理はそっちのけで
4人でそのまま浅草まで行き、
ホッピー通りをぶらついたり、
名前も知らない町中華に入ってお酒を飲んだりした。
通りがかった立派な外観をした鰻屋を見て
「出世払いでうなぎ奢ってね!」
なんて陽気に話した。
わたしの引っ越しを手伝ってくれた3人とは
1年生の頃はよく飲みに行っては語らっていたけれど、2年生に進級してしばらく経ってからは
集まりもすっかりなくなってしまった。
大学生はサークルやバイトなど、自分の居場所探しに精を出すから、自分が求めてるいるものと合わなくなったら自然と離れていく。
そのとき、一緒にいて楽しい人とつるむ。
誰が悪いわけでもない。
新しい楽しい居場所が見つかったのだろう。
知らせがないのが良い知らせと思うようにした。
東京の大学生活は出会いが多いから、ひとつの人間関係に執着したりしない。
田舎は群れから抜けると、また新しく形成するのが難しいけれど、東京はその煩わしさがない。
その時、必要な人と必要な時だけ関わる。
かえって快適なのかもしれない。
思い返してみれば、
東京に来てから様々な出会いや出来事があって
今では関わりはなくなってしまったものの、
お世話になった人たちが大勢いる。
上京してからすぐ生活費を賄うためにアルバイトを始めたけど、よく気にかけてくれた上司から会う度にお小遣いをもらっていた。
全くの赤の他人に現金をもらうなんて初めての出来事だった。
パパ活なんて言葉がなかった時代に
名前のないたくさんの親切を受けた。
お店の人には「お腹がすいた」とぼやけば、営業後に深夜もやっている焼肉店に連れて行ってもらったり、コンビニに寄って大量に食料を買ってもらったりした。
はじめての一人暮らしの家にゴキブリが出た時は
怖くて家に帰れなくて、同じく上京してきた大学の友達の家に何泊か居候させてもらったりもした。
あの頃、たしかに大好きだった場所が存在していた。
確かに覚えている。心に残っている。
ずっとあるわけではないけれど、確かにわたしの居場所があった。
いつしぼんでしまうかわからない小さな幸せが散らばっていたんだな。
高校までは自分が突っ張っていたのもあるけれど、東京に来てからは、張り詰めていた心が解けて、人の優しさに多く触れた気がする。
もちろん現実を知ったことも多いけれど、
人の親切を素直に受け取れるようになった。
ときどき思い出す。
あの頃お世話になった人達、今頃みんな何をしているんだろう。
いま、何処に住んでいて、どんな職業についているんだろう。
あんなに、お世話になった人たちなのに
行方を誰一人知らない。
だけど、
みんな幸せでいてくれたらいいなぁ
と、ぼんやり思う。
人生は巡り合わせの連続で、出会える人は限られているけれど、その時受けた恩は忘れずに生きていきたいなと思う。
まとまりのない記事になってしまったけれど、
初めてのnote投稿はここで終わりとします。
大学時代は恋愛とか、アルバイトとか色々なことを経験したから今後も思い出した事を書いていこうかな。
のの🐈🐾
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