ないものねだりのループ
8月になりもう10日も経つが、ここ数日は35度近くが続き、立っているだけで汗が出てくる。「早く冬にならないかな」。
自粛期間に外に出歩いている人を叩く。「今遊びに行くとかありえないだろ」。
有名人が有名人と密会してて大騒ぎする。「なんか似合わない二人だな」。
飲み会の席でしんどくなっている自分を想像する。「お酒強かったらな」。
結局はないものねだりなのだなと感じる。どうせ冬になったら暑いときの方がよかったって感じるし、自分は外に出たい気持ちを抑えてるのに他の人が外出てるのを見てムカついているだけなのである。自分は有名人じゃないのに同じ目線の気でいる場合もあるし、想像だけで苦しんでんのもバカみたいである。
自分にないものばっかり欲しくなってできないことばっかに憧れを抱くのは、何がいいんだろうか。
ないものねだりだなと感じると、自分にかなり制限をかけていることをより実感する。「ないものねだりはださいなあ」と思うと今の自分しか見えてない気がして、また少し寒気がする。それなら少しないものねだりしてもいいのではないかと考えて、また諦める。この繰り返しが多い。ないものねだりのループにはまる。
特にコロナが流行してから思うのが、「知った口をきくな」である。専門家でも何でもない人が勝手なことを言って場を乱すなよ、と。知ってるやつ以外断定的な言い方すんなよと感じる。想像だけで批判・意見する人に非常にイライラする。
でも、これもないものねだりなのかなと思う。自分がコロナのことを知らないから、知った口をきく人に対して「意見が言えていいな」と感じているのかもしれない。知らないから言ってはいけないと自分に制限をかけているのかもしれない。
自分ができないことを批判するのは視野を狭める第一歩になっていると思う。
ないものねだりのループから脱却して、複数の考え方ができる位置にたどり着きたい。