ゴールが見えないと。
緊急事態宣言も出て自粛してる感じも出ているが、宣言が出ようが出まいが家にいる。なんだか都合がいい宣言が出たなあとも感じている。大変不謹慎ですね、失礼致しました。スマホを使う時間も伸びている気がして、目も痛くなってくる。そう言ってスマホでこのnoteを書いている。そんな中でやはり動画を見ることが多く、今はラランドという芸人のYouTubeチャンネルにハマっている。これが本当におもしろい。現在自分が就職活動中ということもあり、就職面接の動画はめちゃくちゃ面白い。また、悪口神経衰弱も面白い。自分の悪口が書いてあるカードをめくっていってセットを作る。自分への悪口なのに揃うとめちゃくちゃ喜ぶ矛盾。悪口のセンスもたまらなく笑える。時間がある人はぜひ。
面白いものを見ているのは楽しい。まあ当たり前だ。楽しいから面白いと思えるのだから。
自分って何が好きなんだろうとか何が嫌いなんだろうって考えることはあるだろうか。一般的ではあるが、笑いを享受できる時間が好きである。自分から積極的に笑いを生み出すなんてそんな高度なことはできないから、周りのを受け取るだけ。周りをダシに面白い風のことはできる。センスがないからこんなことしかできない。ごめんなさい。
好きなことは出てきやすいけど、嫌いなことを明確にするのは難しい。
そんな中で、じわじわとわかってきたことがある。それは「時間の終わりが見えないこと」が嫌いである。例えば、15時に集まって映画を見たあととか、午前練習のあとに外で遊ぶ、だとか。とりあえずいつまでといったことが明確に決まっていないことにめっぽう億劫である。
だからやることが終わったらすぐ帰りたくなるし、昼頃に外に出ることが嫌なのかもしれない。夜には終電、日付をまたぐとかわかりやすい「おわり」が見えている。だから夜ご飯を食べるとかは普通に行けるのだと思う。
だから、音楽とかラジオが好きなのかもしれない。絶対終わるし。
またこんなことを書いてしまったら誰にも誘われなくなってしまう。あー、あせあせ。
「おわり」を自分で求めてしまうということは、1日のどこかでひとりになる時間を探しているのではないかと思う。
結局は嫌いだなってことを探していくと、好きなことがわかっていく。もしかして意外とポジティブなのかなって思ったりもする。
こういう文章は絶対に自己紹介文みたいになり、戯言のようになってしまう。
もっと人との関係に響くようなことを考えてみたい。
そうだ、嫌いな人を考えていけば、好きな人が自ずと出てくるのではないか。
嫌いな人は、と。だめだめ、嫌いとか一面しか見られない中でそんな簡単に決めつけてしまうのは良くない。
ん
てことは、
好きな人もいないということか。だって一面しか見られないんだから。
こんなことを思っているから友達全員70の関係とか言われるのであろう。なんか一人のことめっちゃ嫌いになってみるのが訓練なのかな。じゃあ、あなたにしようかな、その一人。
申し訳ない。急に怖い話みたいになってしまった。
面白いことが好きなので、自分も面白いと思ってもらえるような人になりたい。じぶんのことすきになりたいので。
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