ミッドサマー
ミッドサマーを鑑賞。フェスティバルホラーとかいう新ジャンルらしい。
ミッドサマーとは、夏の真っ只中、すなわち夏至のこと。舞台は夏至のノルウェー、白夜の最中90年に一度の祭典に、1組のカップル含むアメリカの学生達が論文研究のために訪れる。
以下感想
えぐい。そしてとにかく不気味。
やけに明るい風景画の中に浮き彫りになる、伝統という耳障りの良い言葉にラッピングされた凄惨性。共同体が繁栄するためという正義の前には、個人の精神を尊重する道徳心のかけらもない。自分がその社会の一員になってしまったらと思うと、想像しただけで身の毛がよだつ。吐き気まで催してきそうな域だ。
女性は共感を求める生き物とよく言われる。悩みを吐露する裏には、ただ慰めの言葉や寄り添いの姿勢が欲しい気持ちがあると。事実、私も対人スキルの一つとして、出来るだけそういった対応を重ねてきたつもりであるし、自分自身もそれを求めてきた。そうすることで、今までとりわけ何の懐疑も不満も抱かなかった。そう、この映画を鑑賞し終わる前までは。
共振、共感、全ての感情を共にされるということの小気味悪さ。ヒステリックさ。幼児性。動物性。
共感し合うということについて、ここまで嫌悪感を抱いたのは初めての体感だ。
個々の感情を認め合うこと。個人を尊重することの価値を反面教師的に教えてくれたのかもしれない。
誰かに悩みを吐露された時の対応は、この先も悩み続ける。そして正解はきっとない。愛着障害、パーソナリティ障害とも関連が深そうな問題。誰もが多かれ少なかれ抱えているのではないだろうか。
他者との関わり合いの中で、自分と相手、社会との軋轢をいかに軽減できるか。どう生きたら自分も相手も、ひいては共同体も、満ち足りた道程を歩んでいけるのか。私にはまだ考え及ばない。
そんなことを考えさせてくれた映画だった。