父と娘のテンショクすごろく。
わたしがよちよち歩きの夏に撮られた
写真がある。
波打ち際で缶ビール片手にごきげんの
父と、水着姿の娘(わたし)。
父の勤め先が倒産した、失業中の夏である。
いやいや、父、ものごっつい、楽しそう。
「こどももおるのに、突然でびっくりした?」
とおとなになってから尋ねてみたが、
「別にィ。なんなとして食べて行けるし」
とあっけらかんと返って来た。
母にも同じ質問をしてみたが、
「こどもが小さいから食費もかからん。
なんなとして稼いで来る人やし」
と、同じような答えが返って来た。
なんなとして稼ぐ人は、次に以前から
興味のあった販売店の営業職に就いた。
給料は歩合制。月間売上1位になれば
賞がもらえる。
父は入社後すぐに店の在庫を調べ、
「この、印が付いた商品は?」
と気になった点を上司に聞いてみた。
「倉庫にある売れ残りや。
もしも売れたら、特別ポイント加算や。
まあ、お前にはまず無理やけどなぁ!」
鼻で笑う上司をよそに、父は狙いを定めた。
顔の売れていない新人が、ちまちまと
ポイントの低い新商品を売るより、
一発どかんと、それも何発も続けて
打ち上げる方がトップに躍り出られる。
父はポイントの高い在庫商品を片っ端
から売りさばいて行った。
父は娘が言うのもどうかと思うが、
好き嫌いの分かれる人物である。
海外に移住したお客さんがいまだに
数年に一度は会いに来るくらい
好かれる一方で、
「なんや、鼻もちならん。いけすかん」
と事務員のおばちゃんに目の敵にされて、
新入社員でひとりだけお茶を入れて
もらえなかった過去を持つ。
当時の営業所の上司は、後者であった。
入社後1ヶ月で売り上げ1位を記録、
おまけにそのほとんどが売れ残りの在庫品。
「1位になりたぁて、知り合いに無理言うて
買うてもろたんか」
と顎をしゃくって尋ねる上司に、
「そんなことせんでも、頭つこたら
なんぼでも売れますやん」
と返す新人は可愛げもへったくれもない。
そらあ、嫌われる。
なんやかんやと嫌味を言われ、
嫌がらせをされ、
それでも鼻っ柱は折れることなく、
賞を取るたび、新規のお客さんを獲得するたび
上司との仲は悪化していく。
「何回か、殴り合いになりかけた」
という父にある日、転機が訪れる。
直属の上司とはそりが合わず、
とにもかくにも態度と口は大きいが、
売り上げもしっかり上げてくる新人の
噂を聞きつけた他店の偉いさんが、
出張ついでに父の営業所にやって来た。
「やあやあ、君か。すごいらしいねえ」
東京弁でにこやかに挨拶するその人を、
父は(なんやこのオッサン)と思ったらしい。
しかし商品についての知識をやりとり
するなかで、態度をあらためる。
(この人、めっちゃ頭いい。商品のことも
お客さんのこともちゃんと考えてる)
父は自分がすごいと認めた相手には
敬服する。
そして何より自分のことを認めてくれる
人には惜しげもない愛情を注ぐ。
(この人は味方だ!安心してヨシ!)
犬がごろんと腹を見せるように、
以後父はその人を師と仰ぎ、退職された
今も徹頭徹尾敬語で話す唯一の相手となった。
父は師との出会いも助けとなり、
その後の人生の「仕事」という分野で
自分色の大きな花を咲かせた。
転職で「天職」を得たのだと思う。
わたしは、そんな父がうらやましい。
転職経験は父よりも多いし、
セクハラしてくる上司の胸倉を掴み、
「おまえ、ええ加減にせえよ」
とすごんだこともある。
「新商品を今日中に100個売れ」
と言われ、シフト内にきっかり100個
売り切ってその日の地域売り上げナンバー1
の称号をもらったこともある。
各職場の上司から「おまえ、おもろいな」
と気に入ってもらえる回数は多いものの、
それ以上に敵が多すぎるのも父譲りだ。
わたしは、いつか父に言った。
何度目かの転職活動中、前職で痛い目に
あったわたしにはもうすっかり自信が
なくなっていた。
普段は滅多にまじめな会話はしない。
仕事の相談なんて、いつ以来だっけ。
そう思いながら、面接の帰り道に電話を
かけた。
なあ、おとうはさあ、もしも次の職場でも
うまいこといかんかってもさ、失敗してもさ、
娘の味方でおってくれる?
電話の向こう、仕事中の父の笑う声が聞こえた。
「味方でおらんようになったことがあるんか?」
あるある。前の職場も、その前の前の職場も、
辞めた時に言うたわ。
辞めよった。おれならもっとうまくやれるわ。
なっさけないのぉ。
そう言うたんを、忘れたんか。次も絶対、言う。
また、笑う声が聞こえた。
「そらあ、言うたな。次も言うかもな。
あーあ、辞めよった。それは言うやろ。
せやけど、それだけやん。
100回辞めても、言うたるわ。
気になったことはどんどんやってみ、て。
なあんも、無駄にならん。繋がってくる」
せやけどさ、せやけどなあ、怖いやん。
失敗のたびに落ち込むねん。自信なくなるねん。
おとうみたいに、自分の仕事と、いつか、
出合えるやろうか。
ははは、と笑う声のあとで、父は言った。
「必ず、出合えますよ」
わたしは、いつか誰かに言ってあげられる
だろうか。
悩んでいる誰かに、その言葉を。
(さあ、テンショクだ)
わたしは涙を拭って、電話を切った。
ゴールまで何マスあるかは分からない。
でもゴールが分かれば、道は出来るらしい。
サイコロを手に、一歩進もう。
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