ユメノグラフィアと私
※以下の文章はユメノグラフィアの各キャストさん、及びゲストさん向けとなります。ユメノグラフィアのサービスがどのようなものか、という説明はしません。
ユメノグラフィア。初めにそのサービスを知ったのは何時だったか。いちから(当時)公式のサービス開始のツイートを見たり、両国で体験会をやる、というような事は何となく知っていたのだけど、そもそも私が対人サービスにお金を払うのだとは思わなかった。人と話すのは、それは気の合う相手ならば良いけれども、合わない相手とだったなら、30分、ただ気まずい時間が経過するだけで、それをお金を払ってやる?私向けのサービスじゃない。見かけても目に留めなかった。
vtuberは好きだ。配信の体験が好きだ。コメントしてもしなくても良いし、画面を見ずに作業のお供にしても良いし、コメントを適当に拾ってくれた時は嬉しいし、推しにはスパチャを投げたりもした。大多数の中の一人、時たま認知してくれれば嬉しいけど、その関係が気楽で良かった。推しと何か、個人的に繋がるとか、二人きりで会うとか、そういう事は普通に怖いと思っていた。この感覚は今でも基本的に変わらない。
舞元のおじさんがある日、とても気持ち悪い体験動画で盛大にバズった。むちゃくちゃおもしろい。郡道先生が相変わらずぶっ飛んだ応募配信をした。またこれもおもしろい。なるほど、見てる分には大変におもしろい、と納得した。とても自分に合うタイプのコラボ配信を見てる感覚だった。けれども、ああいうおもしろさを作り出せるのは、それはライバーさんなりキャストさんなり、その「個性」を見いだされた人たちだからだ。私がこんなコミュニケーションを取れる訳がない。初対面で。可愛い若い女の子を相手に。私が?ないよね、とは思っていたけど、気がつくと体験動画を周回してる自分がいた。色んなキャストさんが、色んなライバーさんやvtuberさんと、違った雰囲気の話をしていた。ゆっくり話しても、ゲラゲラ笑っても良い。ちょっとユメグラへ向かうことに、興味が湧いてきた。
半額クーポンがご新規様には配布されるよ!というキャンペーンが聞こえてきた。試しに行ってみた。クーポンが決済画面以外では出てこない事を知らず、初回は通常価格でお迎えしたと思う。
初めは、まぁ本当にガチャを廻すような気分で行ってみた。カレンダーにも「ユメグラ体験」と書いてある。ガチャ失敗は何時でもある、勉強料と思えば良い。
楽しかった。正直に言えば、目の前のキラキラした生き物を「キャラクター」として見ていて、だからモデルが精巧だ、なんて言ったりして、あれ、でも私は今「誰と話してる」んだ、という事に気づいた。
VTuber相手なら、その感覚はもう既に慣れていた。「中のヒト」と、「キャラクター/アバター」の重なった所を見れば良い。沢山のヒトに見られて初めてその姿がたち現れる、そういうモノだと、思っていた。でも、今目の前にいる存在は、ワタシだけに向けて、話している。今この瞬間は、私だけが観測している。「人間」と話してるんだ、と思った。
どんどんハマっていった。お互いの顔が見えない。思い立って電話をかけて、話せる訳でもない。家族でも恋人でも、近づいてはいけない、「みんなの推し」でもない。でも何時でも、二人だけの空間がそこにはある。関係性が、変化していく。
この話、あのキャストさんにしたいな。こういうネタ、あのキャストさん好きだよな。そういう風に準備することが増えた。多くの場合、事前に準備したネタをきちんと消化できることはなかったのだけど、それでも楽しく。つまりはそういう「タスク」や「課題」の時間では全くなく。ゲラゲラ笑うのが、笑わせるのが、本当に楽しかった。
あるゲストさんが、夜景と共にキャストさんを撮っていた。「そういうのもあるのか!」と膝を打った瞬間だった。そう、そういうのもある。ライト版が天才的に上手いキャストさんが居たから、「お出かけにご一緒してもよいですか、回線速度や周りの音でご迷惑をかけるかもしれませんが」と聞いてみた。快諾してくれて、通信料を気にしながらやってみた。むちゃくちゃ楽しい。
旅行は元々好きだった。引っ越しの多い家庭だったから、移動には慣れていた。
新しい土地に会うこと、そこで名も知らない人がそれぞれに工夫して暮らしている、それを少しばかり、覗き見させてもらうこと。知らない土地の美味しいモノを食べること。
旅行の楽しみに、キャストさんと話すこと、が加わった。旅行の予定を建てる時には、キャストさんのチケットの予定を見ることがルーティンの一つになった。
次の季節も、キャストさん達と過ごせるんだ、と当たり前に思っていたら、ある日、サービスの終了が発表された。そんな事ってあるものか。沢山のキャストさん、ゲストさんが嘆いていた。私より、ずっと深く傷ついてそうなキャストさんもいらした。ゲストさんも、ずっと悲しんでいた。タイムラインを見れば、沢山の悲しみが聞こえてきて、辛かった。三日間ぐらいは、別れの曲なんか聞いてしまってダバダバと涙を流していたように思う。
冷静になれば、そもそも事業として難しい事をやってくれていたんだ、とは分かる。いちから(現エニカラ)が、それなりの体力で支援してくれてて、どうにかここまで終わりを延ばせたんだ、と今は思う。
色々不器用だったかもしれないけど、ユメグラの運営には本当に感謝している。凄くハードな業務をこなしていたはず。
例えば、もしかしたら、配信のような形式にすれば、もっと収支は楽になったかもしれない。でも、「一体一の」「保存できない」「一度きりの」空間でなかったら、それはユメグラじゃない。少なくとも私の認識ではそうだ。
ゲストとキャストが、毎回、違った話を、メモにしなければ、二人の記憶以外のどこにも残らない話を、する。その中で関係性が成長していく。それだけの事が、コミュニケーションがとても楽しかった。
サ終告知以降は、一番濃密な時間だったと思う。気になってたキャストさんに初めてお目にかかったし、久しぶりのキャストさんとも話せたし、いつものキャストさんともゲラゲラ笑った。とても楽しくて、だから今はそんなに悲しくない。嘘。悲しい。
でも、本当に卒業式のような、晴れ晴れとした悲しみを持って、終わりを迎える事が出来たのは、ちゃんとお一人お一人に、直接お別れを言えたからだと思う。申し訳ないことに、残念なことに、全てのキャストさんではないけれど。
今寒い部屋で、暖房もつけ忘れてポチポチと書き散らしている。そういう熱量をもたらしてくれた、全てのユメグラキャストさん、ゲストさん、ユメグラ運営に尊敬と感謝を伝えてこの文章を終わらせたい。
最後に一つ。ユメグラ2nd season、何時でも何時まででも待ってるし、何なら作る側にも廻りたいからな、待ってろよ(何)