烈空の人魚姫 第4章 策動のアトランティス大学 ⑩スランバーは鎧を脱ぐ
ーーーアトランティス大学には闘技場がある。
学生同士でいつでも日々力を試しあうことができるようになっていて、大学のキャンパスがぐるりと円を描くように闘技場を囲っている。
一見すると人間世界で言う古代ローマの世界観にも見えた。
スランバーはこの闘技場で日々体を動かすのが日課だ。
特に大学2年の年に研究室のある院に移ってからは研究の合間にこうして息抜きをする。
横にある更衣室に戻るとふう、とため息をついた。
鉛のように重たい鎧。
この鎧は深い海の底の水圧に対応するためだ。
研究資料を集めるために様々な水深を行き来する必要がある。
特にバブルのいるリベルクロスには七色の煙を吹き出す熱水噴出孔があり、その煙に混ざる物質は魔法の研究にも意義があると言われている。
この深海に存在するアトランティス大学の学生と言えども、リベルクロス級の水深に存在する過酷な水圧に耐えられる人材は実はそう多くない。
おそらく、だからこそ自分が2年で大学院編入を許可されたのだ。
イロード教授のいるイロード研究室の院生として。
『これも日々の研鑽のおかげかな』
スランバーはそう言うと、更衣室の鏡に写る自分を見た。
重たい鎧の中、水中で瞬時に移動するのは容易ではない。
スランバーは毎日トレーニングを欠かしたことがない。どんな時も。たとえ友人を失ったときでさえも。
あの時ーーー
あのリトルエンケラドスの街での魔女との大きな衝突があった時ーーー
バブルが紛争を止めることになったのは私のせいだろう。
私がイロード学長にバブルの能力なら魔女達を制圧することが出来るはずと進言したから、学長はバブルに紛争を止めるために緊急で招集した人魚部隊に入るようにオファーしたのだ。
大学のすぐそばの街で度々魔女と人魚たちの物騒な小競り合いが続いていたから、バブルの重力を操る力を持ってすれば何とかなるんじゃないかって言う希望的観測もあった。
でもまさか。
スランバーはまた落ち着かせるように深呼吸をする。
バブルがーーあの後ーー力を使い切った後ーー泡になって消失してしまうなんて。
『でもバブルは、生きてた。消滅したはずなのに。なぜ•••』
偵察隊の深海魚からバブルが生きているという連絡が入った時、スランバーは衝撃を受けた。
巨大化したバブルは星のような強い重力を纏っていたがその後、力を使い果たして消滅したからだ。
スランバーは震える肩をもう片方の手で抑える。
自分は最近、きっとおかしい。
友人が生きていたのだ。
単純に喜べばいいはずなのに。
自分が学長にバブルのことを言わなければ、バブルは大学を辞めてリベルクロスに引きこもる事もなかったに違いない。
もうバブルに会わせる顔がないーーーリベルクロスに行っていいのかもわからない。
しかしバブルへの後悔とは違うもう一つの欲望がスランバーの心を流れるように侵食する。
学長はリベルクロスにある物質を採集しに行くために私を招集したのだと思いたいけど・・・
もしかしたら、とスランバーの顔は曇る。
イロード学長はお気に入りの生徒を連れ戻したいと思っているのかも知れない。
気になる相手。
つまりバブルをーーー
そう思うとスランバーの心がざわめく。
そして今まで気づかなかった黒い感情が心の隅から中心になだれ込むのを止められなくなる。
『ああ、もう。最近ほんと変なんだよなぁ』
スランバーは湧き上がる奇妙な感情を振り払うように首をぶんぶんと振る。
インフィニティに相談したら絶対らしくないって言われるだろう。
曇りのないまっすぐさをいつも彼女は褒めてくれるからだ。
(少し盲目的な視点だったかも知れない。まだ事実そうだと決まったわけでもないし。でも、どういう状況だったとしてもーーーー)
スランバーは持ち前の律儀な思考回路を回転させる。
好きな人が誰のことを好きだったとしても、私には関係ない。
私は私のできることをするだけだ。
(そう、全ては・・・・)
スランバーは、肩の留め金を外した。胴に密着した甲冑が外れ、がしゃんと言う音を立てて地面に落ちていく。
肩に重くのしかかった防具も同時に振り払い、淡い青のキャミソールがあらわになる。
鉛が地面にぶつかる音が更衣室中に響いた。
鏡を見つめたスランバーは、自分がどこか頼りなげに見えた。
首にかかった貝のネックレスを触る。
イロード学長が2年で研究室に編入した時にもらったものだ。
こんなネックレスをもらったせいか、きっと脈なんてないだろうにどこか期待してしまう。
ピンク色の貝は、あの学長室の前のサンゴの柱の色に似ている。侵食されたシェルピンク色のサンゴ。
スランバーは貝をギュッと握りしめて目を瞑った。
『僕は決めたんだ・・・私は何があっても好きな人の•••イロード学長の力になりたい。今の僕にとっての支えはこのネックレスだけ・・・』
闘技場横の更衣室を出て、研究棟に戻ってきたスランバーは、運動直後の体のだるさを引きずりながら階段を上ると研究室の扉の前まで来てふと扉の両脇のあの2つの柱に強制的に目が吸い寄せられた。
(本当に・・・・なんて美しいんだろう・・・・)
じわりじわりと、少しずつ侵食しているーーー身も心もーー侵食されていく。まるでーーーー
奇妙なくらい魅惑的なイロード学長の研究室の柱のシェルピンク色のサンゴは少しずつ、じわりとローズピンク色のサンゴに覆い尽くされているように見えた。
まるで好きな人のことしか考えることが出来なくなった恋心のように。
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