セカンドステージを楽しもう

vol.1  ライフワークの模索が始まった

長かった公務員生活に終止符を打ち、人・地域のためのライフワークを見つけた経緯、現在及び今後について、少しずつ紹介していきます。

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▽長かった公務員生活

大学を経てずっと同じ組織で仕事をしてきました。

組織というのは某中央官庁です。昔は熱く、何があっても自分の意思(忖度ではない)を貫き通す先輩官僚がいましたが、今はそんな勇者はいなくなりました。

霞が関にいた頃は、国会対応、予算、特定業界団体向けの仕事がメインで、だんだん仕事の達成感もなくなり、誰のために毎日遅くまで仕事をしているのか、40代で管理職になったころから自問するようになってきました。

しかし、ここでの経験は決して無駄ではなく、①多様な仕事につけたこと(→新しい仕事への適応力が高い)、②多くの業種の方とのお付き合いができたこと(幅広い知識の取得)、③調整力や状況判断力が培われたこと、は、セカンドステージで活かされています。

▽会社人間とは:歯車のような生活が続く

今の若者は違うと思いますが、我々の世代は「会社人間」という言葉が横行していました。要するに、会社が生活のすべてであり、仕事一筋で他に趣味や特技もない仕事人間。日本経済の高度成長期に目立った生き方。

仕事の関係で2年間、イタリアで仕事をする機会を得ましたが、その生活は人生の中でも最高の時間でした。

毎日、多様な価値観をもった多国籍の職員とランチをしたり、コーヒーブレイクをしたり、ホームパーティーに招いたり、招かれたり。夏のバカンスは1ヶ月以上、取得するのが当たり前。出張届けには家族の同行欄がある。余った年休は買い取ってくれるなど。この間に家族との絆が深まりました。
仕事も定時(17時)で終わり、毎日家族で一緒に過ごす時間がありました。


しかし任期を終え帰国して霞が関に戻ってからは、元の「余白」のない生活になってしまいました。

地域や家族との関係は薄れ、自分だけが浮いているような感じを受けました。

まったく「余白」がないから、仕事のことで頭が充満していて、ライフスタイルも含めて、歯車のような生活をしているだけでした。

昨年、話題となった元K事務次官が息子を殺害した事件は衝撃でした。K元次官の下で仕事をさせていただいたことがありましたが、当時は国際的な貿易交渉の仕事をしていて頻繁に海外に行き、霞が関では夜遅くまで仕事をされていました。今にして思えば、家族との接点が希薄になっていたのだと思います。

自分も同じ状況でした。夜明け前に帰宅する日も多々ありました。月100時間以上の残業^^;

▽無理がきかなくなる年齢に


管理職になると責任感が増し、40代後半からだんだん体に無理が効かなくなり、疲れやすくなり、イライラ感が増し、肌荒れ、突然の頭痛などに悩まされました。医者に行っても対処療法のみ。要するに薬を処方されるだけ。

無理をすると体に異変を感じるようになりました。

これではダメだ。

▽恵まれた環境の中で:心の変化

そんな中、2011年(平成23年)3月に東日本大震災が発生し、4月からこの関連の仕事をすることになりました。一段落した8月に転勤の話が舞い込み、9月に長年住み慣れた東京を離れ、信州佐久に移住しました。

浅間山や千曲川の自然の恵み、米、高原野菜、果物などとおいしい食材と食事。まるでかつて住んだことのあるイタリアにいるような感覚になりました。

ゆるやかに時は流れて、人も穏やか。新幹線で東京から75分の距離で生活しやすい街。

毎日表情を変える浅間山の姿には癒やされ、嫌なことなど忘れさせてくれます。

そんな中、実家(名古屋)の父親が亡くなり、要介護の母親を一人にしておけないので、佐久に連れてきて仕事をしながらお世話をする毎日となりました。

このこともあり、東京への異動の話が来ても辞退するようになりました。

住みやすいところだな。しばらくいたいな、との心の変化が芽生えてきました。

▽地域の職人さんとの出会い:人生の転機

そして地域の農業と食に携わる職人さんとの出会いがきっかけで、一気に地域の友達が増え、地域に関わる仕事もするようになりました。

出会った職人さんを紹介する冊子や地域の農と食育のための絵本を作ったり、地域の魅力を伝える講演をしたり・・・、マスコミでの露出度もアップしました。

結果、ライフタイルを楽しむ時間が流れ、何か居心地がいいと感じるようになりました。東京にいた時はまったくこのような感覚はなかったです。

▽セカンドステージとワイフワークの模索

そして6年ほど前から、セカンドライフやライフワークを模索しはじめました。

そんな中、一冊の本と出会い、第二の人生を考える上で参考にしました。

「55歳」からの一番楽しい人生の見つけ方 (知的生きかた文庫)
川北義則


そして何をしたいのかのイメジーを考えるようになりました。

○人や地域のためになる仕事をしたい

  ~ありがとう!と心から感謝される仕事~

○そのために手にスキルを身につけたい

     ~改めて役人だった自分は何もスキルがないことに気づく^^;~

○多様な人とのつながりを楽しみたい

 ~これまで縁のなかった業種の方、地域住民、次世代を担う若者など~

○そしてコワーキングしたい

   ~結果、いろんな人に巻き込まれたり、巻き込んだりして、ビジネスをクリエイトしたい~


写真(上):2019年8月 佐久で行われた野外でのビジネスmtg

写真(下):2019年12月 コワーキングiitocoの忘年会

オフサイトミーティング

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▽ライフワークを見つけるまでの経緯など

  次回に掲載します!


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