社会人1年目から婚活したのに何年も結婚できなかった女の話【前編】
プロローグ
私は北海道の田舎で生まれ育った。
電車は1時間に一本、駅の改札で交通ICカードは使えないどころか無人駅だってあるし、辺りは畑か林か川だし、野生のリスやキツネや鹿に遭遇するし、20代のうちに結婚して、子供を授かったら注文住宅を建てるのがデフォルト。そんな田舎だ。
私には姉がおり、私が高校生の頃、姉はアラサーだった。
姉は家でよく愚痴をこぼしていた。職場のお局さんや上司から、独身であることをしょっちゅうイジられていて不快だという旨の愚痴だった。
姉は30歳に結婚して寿退社するまで頻繁にその愚痴を話していたので、かなり悩まされていたようだった。
そして私は新卒でゼネコンに就職したが、その職場でも独身女性に対する風当たりは強かった。
そこで働いている女性社員は20代のうちに寿退社するのが当たり前で、30近くになっても結婚していない女性は専務常務などのオヤジから「早く結婚しないと売れ残っちゃうぞーw」といじられ、30を過ぎればいじられなくなる代わりに、裏で「まだ独身なんて可哀想だよなーw」と勝手に哀れまれていた。
そんな光景を見てきた私の心には、
「この世では結婚しないと迫害される」
という価値観が、根底まで深く刷り込まれた。
このような背景があり、私は社会人1年目の頃から、"世間体のため"に一刻も早く結婚しようと心に決め、婚活に取り組むことになる。
これから書き綴るのはその闘いの記録だ。
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①ゼネコン社員と社内恋愛
私は新卒でゼネコンに就職した。ゼネコンなので男には困らず、私は入社1ヶ月後にはすでに社内の男性(26)と交際を始めていた。
マリオカートでいえばこの上ない最高のスタートダッシュを決め、一位を走行中だった私だが、交際半年にさしかかる頃、サンダーに打たれるかのような事件が起きる。
なんと彼氏が交通事故を起こし、刑務所に3年間服役することになってしまったのだ。
事情聴取等の関係で私と彼の関係は社内にばれ、その後職場で腫れ物扱いされるようになった私は精神的苦痛に耐えきれず、せっかくの大手企業を1年で退職することになる。
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②年収1000万の斉藤工
キャリアと恋人を最悪な形で失った私は、この醜態を地元の人たちに晒したくなかったので、地元から車で2時間も離れた見知らぬ土地で仕事を探し就職した。
新しい仕事繋がりで、私は斉藤工似の男(28)と出会った。
彼は初対面の時から私を気に入ってくれたようで、交際までそう時間はかからなかった。
また、交際後に知ったことだが彼は年収1000万も稼いでいた。
内訳は本業は400万、副業(スロット)で600万。ちなみに令和5年の今でも本業副業ともに稼ぎは安定しているようで、名前を検索すると独立して社長になっていたり、競走馬の馬主にもなっていた。
しかし年収に驕ることは一度もなく、とても優しい性格で、当時まだ若くワガママだった私に対してもずっと優しく付き合ってくれた。
そんな稼ぎヨシ、性格ヨシ、人望ヨシと、そこら中の女が喉から手が出るほど欲しがるようなハイスペックな男性だったが、唯一欠点があった。
その欠点とは男の沽券に関わる内容なので、彼の名誉を守るためにもここでは語らない。
この欠点は先天的なものでどうしよもなく、人様に迷惑をかけるようなものでもないのだが、その欠点と10年20年付き合っていく覚悟が私にはなかった。
その後、私が地元に帰ることを機にお別れした。
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③海老蔵と4年間の遠距離恋愛
見知らぬ土地で過ごすうちにゼネコン彼との悲惨な別れから立ち直った私は、地元でやりたい仕事が見つかったのを機に地元に戻ることにした。
地元に戻ってからは、前の職場にいた男性と交際することになった。
彼は海老蔵に似た男性(29)だった。
私と彼は車で2時間かかる距離に住んでおり、プチ遠距離生活が1年続いた。
その後彼は諸事情により神奈川で就職し、北海道と神奈川の遠距離生活がスタートした。
3ヶ月に一度しか会わない関係だったがこの距離感は意外にも心地よく、2年間続いた。
その後私は上京し、それからさらに1年交際していよいよ同棲フェーズに差し掛かったところで問題が起きた。
どこに住むかという問題で意見が衝突した際に、「俺の方が稼いでるんだから俺に合わせろ!」と言われたことで、私の気持ちが冷めてしまったのだ。
たかがそんなことで…と侮ることなかれ。
稼ぎを理由に話を優位に進めようとするモラハラ男は、これから先も、ことあるごとに稼ぎを理由にあれこれ主導権を握ってくるに違いない。
これまで4年という月日(コスト)を支払っただけに、ここで別れるのは身を引き裂かれるような思いだったが、いくら結婚願望が強い私でもモラハラ予備軍と結婚したところで幸せにはなれないと判断し、泣く泣く別れを切り出した。
※なお、この時点で当初の目的「世間体のため(迫害されないため)に結婚する」ことよりも「自分が幸せになるために結婚」しようとしていることが見て取れるのだが、当時はこれに気付いていなかった。
この無自覚が、後に同じ過ちを繰り返すことになる。
こうして私は、地元を捨て、4年間付き合った男も捨て、東京にいる理由さえも失った。
唯一残ったものは「結婚しないと迫害される」という呪いだけ。
この時の私は27歳になろうとしていた。
失うものがなくなった私は荒れに荒れ、ここから更に転落してゆくことになる。