永遠が通り過ぎていく

永遠が通り過ぎていく、という映画を見ました。
映画の感想なんてあまり言いたくはなくて、でも語りたくなってしまうこと、それは感想というよりもっと違うなにかなのではないかと思っている。

思っていたよりシンプルなのかもしれない。
は昔も今もずっと、優しさに救われて続けている。
私をたいせつに思ってくれる、誰かの愛を頼りに生きている。
愛じゃないひとに必要以上の親切を与える必要はない。誠実も愛も、愛じゃないのなら関係がない。

ある程度の距離を置くこと、他人と自分の間にきっぱりと線を引くこと。
人の数だけ正義が、人生があることを認めること。
そのためには、他人のいろんなものに対して想像力を巡らせる必要がある。

その想像力を、私は愛と呼びたい。
想像力のなさを、どうしたって目の前に立っている愛する人のことを何ひとつ知ることができないことを前提として、それでも考え続ける覚悟を、分かり得ないあなたと手を繋ぎ続けることを、誠実と呼びたい。

たくさん救われてきた。たくさん傷ついてきた。
過去と手を繋いで歩いていくしかない私だからこそ、贈れる愛がある。
愛を捨てられない私だからこそ、抱きしめることができる美しさが、感情がある。

想像力がない方がしあわせかもしれない。他人のいろいろを分かり得ないと知りながら、考え続けるのは苦しい。考えなければ、自分勝手に生きることができて、根拠のない自信だとかに支えられる強い私になれるのかもしれない。でも、他人についてのいろいろを思い巡らすことができる私は、私の愛は、とても豊かで美しい。

愛する誰かを、とても美しく愛する私を言葉にしていこう。私の言葉が美しいのは、私の愛が美しいからだよ。弱くて脆くて、すぐに傷ついてしまうけれど、それでも晴れやかに、胸を張ろう。

私の愛が私だから

私は生きるよ。私を何ひとつ捨てたりなんかしない、どの私もたいせつにたいせつに守り抜くべき宝物だから。

私はこれまで私が生きてきたという事実を、足跡を、過去を、記憶を愛しているし、それらに救われて生きていこうと決めている。

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