ZOCについて
ZOC、私なりにとても愛していたしめちゃくちゃに救われていたけれど、けれどの先に続く言葉の果てしなさにいつだって圧倒されてしまう。私なんかが語ってはいけないもののように感じる、熱狂的なファンが多いアイドルや漫画などについて語るのは怖いね。私も私なりに好きで、その感情は堂々と語られていいはずなのにね。むずかしいぜ!
私は古参ではないからよく分からないことも多いが、「昔のZOCがよかった」と言っている人たちがいるのも理解はできるし初期のZOCも好きだし、でも私が好きになったのは少し前までの6人のZOCで、6人が歌うfamily nameに心だとかいのちを救われて、だから昔の方がよかった!とは思ったことはない。でも、別物なのは分かる、同じ曲でも歌い方が時期によってメンバーによって違っていて、初期ZOCにめちゃくちゃに心惹かれていた人から見た今のZOCはたしかにその人にとってはもうZOCではなかったりするのだろうな。
昔は少女性がとても強くて、可愛くて可哀想な私、それでも負けずに必死で抵抗しながら生きていく私!みたいな感じで少し攻撃力が高かったような気がする、儚さと生々しさみたいなものがとても強いなあと思う。その生々しさはやっぱり強くて、分かりやすく人を惹きつけるものだったのだろうと思う。
少し前までの私から見たZOCはとても雑にまとめてしまうと、昔より大人で成長して洗練されていた。昔のような生々しさや少女性ゆえんともいうべき儚さはやわらいで、いろんないろの絶望をくぐり抜けたメンバーが、まだうまく絶望を抱いてやれない誰かのために歌っているような、そんな感じ。ライブでfamily nameを聞いたとき、ああ、女神だ、と思ったのを今でも覚えている。たしかに私のために、私を救うためにある歌で、私はめちゃくちゃに救われていて、可愛いより強くて美しい女の子だった。
family name のBメロの、「察して その名前は二度ともう聞かずに生きていきたい」のまろちゃんがとても好きで、ライブ映像をぼんやりと見ていたときにその力強さと圧倒的な光にたしかに惹かれてそれからずっと好きなんだよな、まろちゃんのあのワンフレーズに、6人が歌うfamily nameに救われて生きてきたから、私が愛しているのは多分6人のZOCだし初期ZOCの方が好き!となることはこれからも多分ないし、ただ出会った時期とか共鳴したいろんなものですよね、なんでも。雑だけどそうとしか言えない。他の誰が歌うfamily nameよりもあの6人のZOCが私の正解で、そういうことってたくさんあって、みたいなことだよねきっと。
まあでも私は最近はfamily nameのMVを見たりもしている、多分もうめちゃくちゃに救われなくてもよくなったというか、救われていた過去に、救ってくれていたという記憶に慰めてもらいたくて聴いているみたいなところもあって、だから6人の時のZOCももう遠くなってしまったから、初期ZOCでもどちらでも距離があることに変わりはないし、少し話は逸れるけれど私は大森靖子ちゃんの音楽がやっぱり好きだなあみたいなのもあるし、まあいろいろ。
ZOCにたくさん問題があることなんてある程度推していたらまあ分かっていて、でもそれでも救われたことも救われていることも何も変わらないんだ、あの曲を画面の向こうで、数メートル先のステージで、美しく表現してくれればあとは何でもいい。どれだけ好きな芸術作品でも、別に作者にそこまで興味はわかなくて、ただそこにあればいいと思う、そのことを愛の薄さだなんて絶対に言いたくないしそうではないと思う。愛し方が違うだけ。それぞれの愛し方で愛してくれたメンバーたちだったしそれぞれの愛し方で私達も愛していけたら!なんて傲慢ですけど、思ったりしています。
私は私なりにZOCが大好きでした。それだけ。誰かにとってのZOCを否定するつもりも肯定するつもりもない、ただそれぞれのやり方でZOCに救われたり救われなかったりしていこうね、ずっと救われてた過去のこと大事に抱えて歩いていくんだと思うしあの時出会えてよかった、私はずっとZOCが好きって言いたくなるくらいすごく一瞬なのに永遠みたいな気すらして、やっぱりとっても愛だな。
クッソ生きてやる!