車窓から垂れ流れる日常と、考察日記(一万文字、下書き)
小、中学校の時の同級生に変った奴がいた。
一言で言えば「天邪鬼」。
それがカッコいいと思ったまま、しくじった奴だった。
彼は小学校の頃から変わっていた。けれど、それは今で言う発達障害の類の言葉でかたずけられていたと思う。言ってしまえば個性。
でも障害(知的)の類ではないと思う。
・
彼は基本的に、真逆の事を言えば良いと思って9年間過ごした。
結果、中卒のホームレスになった。
子供だから勉強は好きじゃないと思う。けど、勉強をしなければ進学が出来ない。
僕が住んでいた地域で、僕らが志願して受験する学校は、当時、100人受験すれば一人落ちる、という変わった制度だった。
・
当時の彼の事を簡単に説明するなら、当時は中学生だったとはいえ、異常な部分を矯正できなかった人間だと思う。
ゲームがしたい、ゲームが出来ないと暴れて手に負えない。
そして一切勉強をせずに不登校になった。
漫画やゲームの時だけ普通という訳でもなかった。
自分が気に入らない、自分とは意見が違う物や事に対して、暴れるしか出来なかった。
そして、それが彼の中の「かっこいい」が「天邪鬼な俺」だった。
それが問題だった。
・
例えば卒業式の帰り道、保護者込みで食事があった。
その時、ファミレスで同級生がそれぞれ好きな物を注文、保護者も各自で注文するところ、彼だけ
「白米とお茶!」
と大声で言い、さすがの親もその時だけは大きな声で怒った。
「いつもそんなことしてないでしょ!!」
けれど、彼は
「いつもお茶漬けサバサバや!」
と言い、その場、ファミレスで、白米だけ食べていた。
親は恥ずかしそうにしていたが、本人はそれがカッコいいと思っていた。
彼の中では、こんな時(場)でも、こういうものを食べると言う行為が褒められる行為ではない事は分かっていた。
それが彼が、漫画やゲームで見ている
「変わった事を言う主人公」を模倣しているだけだった。
・
僕は彼と何度も遊んでいたから知っている事がある。
彼の本心を聞いた事がある。
ただただモテたいだけだった。
哀しい奴だなと思った事だけ覚えている。
でも、その後、彼は暴れ出した。自分でモテたいと口にしたことがよほど恥ずかしかったのだと思う。
僕は何故か突然、部屋に合った竹刀で頭を叩かれ、頭が真っ白になった事も覚えている。
・
彼が中学校で不登校になったのも、安易過ぎた。
初日で友達たちと会話が合わなかった。
彼は勉強は絶対にしたくない。
けれど、初日の自己紹介から大間違いをし、それがあまりにも失笑だった事が彼を傷つけて、そのまま不登校になった。
・
普通とは違う事、変った事を言えば他人の目や気を引き、それが実は褒められたり好意的に見られると言う典型的な間違いをした。
よくある話だけど、そんな事を言いながら、間違い、反省を繰り返して人間は成長する。時には大きな問題も起こす。
彼の場合は、自分がしたいこと以外を全部拒否した結果、高校も進学できずに、謎のホームレスになった。
・
彼の親戚から偶然話を聞いた事がある。
突然親戚の家に表れて
「庭を貸してくれ」
といい、その庭にテントを張って野宿をすると言うらしい。
そして、その家の人が
「家の中で寝たら?」
と言っても、断固拒否して最後は機嫌が悪くなって出て行く。
それを繰り返していたらしい。
他にも笑ってはいけないけど、かなりその手の類の話がある。
彼は社会や他人との交流を遮断して、結局はホームレスになった。
・
これは個性や障害なのだろうか。
僕は、親の教育や家庭環境、なにより、本人が可能性や選択肢を持つ為の成長を拒絶したことが最大の原因だと思う。
・・
・・
僕は暴力が人を変える事を見てきた。
それは教育ではなく暴力ではあるが、暴力と教育は似ている。
子供の頃に必要な教育には躾としての罰は必要だと思う。
・
人間は、殺されると思えば、例え嘘でもその場では矯正が掛かる。
その状態(環境)が続けば、それに多少は慣れてくる。
それを我慢や努力、忍耐、経験として人間は成長する。
でも、やはり「いざ」逃げられる状態や、その場しのぎで何とかなってしまうと人間は変われない。成長を一切しない。
自分の姿や言動を考えることが出来ない。
社会性が身につかず、歪な価値観のまま(子供、幼稚な考え方のまま)生きてしまう。
・
別に学校に行けたから普通でも無い。
時代によって違う。価値観も普通と言われている事も違うだろう。
昔は「傾奇者」って言われていた人間も存在するくらいだ。
人間はいつの時代も考える事、やる事はある程度同じだ。
僕はそう思う。
彼はその時に、3年間でも強制的に社会性や人間としての成長をしていれば、変っていたかもしれない。
・
本人にとっても、自分の何が悪いか分からないのは苦しいと思う。
どうすればいいのか分からないのだから、辛かったと思う。
でも、それを個性や発達障害と言うか?
僕は違うと思う。
ただの馬鹿だ。ただの勘違いが過ぎて、痛々しい事を繰り返した。
それが度を越えて、高校受験すらまともに受けられない状態にまで悪化した事が、彼の最初の大間違いだと勝手ながら思う。
・
勝手ながらと言うけど、僕は不登校の彼を学校に一緒に連れていくと言う事を担任から言われていた。だから何度か彼を迎えに行ったこともある。
酷い時は、自分の部屋の扉を外して、廊下にカポっとはめ込んで、廊下をふさいで籠城。
親も流石に悲鳴と怒号を挙げていたが、彼はゲームをし続けた。
彼は当時から言われていた
「ゲームやマンガの見過ぎ」
と言われてしまう典型的な例だった。
彼に僕がタイトルをつけるなら
【好きな女の子には意地悪してしまう。そんな、人とは違う事をする俺、カッコいい主人公に憧れて】
それが本当に通用すると思い過ぎた。
・・
話は少し派生してしまうが、それってバンドマンや、何か表現者になりたいと思った人間が
「自分は才能がある」
「自分には特別な才能がある」
と言って、勘違いしてしまう過程と似ていると思う。
いつか自分の現実を受け入れて、現実社会の中で生きていく。
自分の人生を考える。
正しいと言うとまた変かもしれないが、自分に合った道を模索する。
そうして自分の現実、才能の事実、挫折や絶望も経験する。
そうして人間は人生を歩んでいく。
・
ただ、そこでまだ子供のように、間違った事を言い続けていると。
人間は、社会とは少し離れた道を生きる事になる。
あるいは、反社会的な道に反れていく。
反社会的とは犯罪だけではない。
彼の様に、肉体的にも恵まれていても真っ当に生きられない人間もいる。
・・
僕らは小学校から受験している。
当時は珍しい語学も授業にある学校だった。
だからと言い切れないが、彼は知的に障害があった訳ではない。
後天的に間違った道を選び続けた結果、そうなっただけだ。
・・
・・
僕は少し前、客をブロックした。
知的も精神も障害で、生活保護を受けている60代。
何度か話題にしてしまう、だから今ここでは詳しくは書かない。
その人も、30代で精神障害者となり、生活保護を受け始めている。
僕と出会った頃は53歳。完全な知的障碍者と同じ言動だった。
元々はそう言う人では無かったらしいが、今のそれは、30年間、生活保護で何もせずに生きた人間の末路だと僕は思う。
・
色々な事で、何度も苛立つ事があった。
でも、こんなのを相手にしている自分が悪いと思い、拒否にした。
・
でも、僕は今思う。
こういった「人間」たちと関わってきた僕の人生は。
きっと
「こういう人間に、なってはいけない」
という神様からの暗示、提示なのだと心から思った。
・
そう思えたことが僕の人生。
そこで、そういう人たちと関わらない、関わっても割り切れる関係の仕事。あるいは同族であれば、ここまで事実を、経験として考えられないと思う。
・
生活保護者がどういう生活をしているのか。
僕はこの10年間で何十人ものそう言う人たちと関わった。
今回の人は、ずっと家の中でごろごろしているだけの人生。
日曜市で再会した人たちは、今でも青空居酒屋で酒を飲みカラオケをし、借金と博打を繰り返しながら、完全に保護された状態で生きていた。
色々な人がいる、色々なパターンがある。
僕はそう言った人を否定しているのではない。
人による。今回の人のような人生や生き方はしたくないと思うだけ。
・
これが社会の一部。
僕がここで言いたかった事は、社会や物事には正解はないという事。
絶対の答え、正解は無いという事。
こういう色々がまじりあって、グラデーションの様に、集合体となっているのが人間社会だ。
それが分からない人は、目のまえの事に、必死になっている。
・
ちなみに僕が今回ブロックした人は
「テレビを見るしかすることが無いんにょ(することが無いのよ)」
と言っていた。
僕は最後の方はかなり酷い失礼な事も言っていた。
「ニュースを見ても興味や実感が無いでしょ」
「自分の生活を関係ないからどうでもいいでしょ」
と僕は言った(言っていた)。
その人は、
「いや、人間として生活していたら天気とか社会の事は気になるんよ」
と返してきた。
けど、僕は思う。
60代だからではない。何歳でもいい。
大人になって社会人になって、家族や自分の家庭を持って、仕事をし、社会と他人と関わり、それなりの責任や意識で生きていれば、ニュースに限らず物事の見方や関心が変わってくる。
それが無い、それが出来ないのが、「そういう人間」だ。
物事を見る深度、角度が浅い。
・
天気によって仕事内容や生活が変わるから天候も気にするが、ただただ天気の良し悪ししか話題を持てない。それ以上の会話が広がらない。
話が浅い。思慮が浅い。
そうなれば、誰からも相手にされなくなる。
なぜなら、そんな奴の話に付き合うほど、まともな人間は暇ではない。
・・
いい歳してという言葉は好きではないが、いい歳して、そんな事しか言えないのか、はよくある。
今度亡くなる予定の人も、40半ば。
10代や20代の屑と同じような事をいつも延々と言い続け、今度死ぬ。
その人は、奇跡で良かったと思う。
普通に考えれば、惨めな末路のままで年老いていく人生が、都合よく病気になり、死にたくは無いのだろうが、死ぬのが一番楽な道だと本人もよくよく気が付いている。
・
人間は、社会から、他人から、見限られ、見捨てられ、相手にされなくなっても生きている。生きていけるのだ。
それが良いのか悪いのかは別。良くなくても死なない。死ねない。
生活保護だろうが手帳だろうが悪い事をしようがただただ寝ていようが、孤独な末路で不審死で死ぬような人生でも、それでも生きているのが人間の姿だ。
・・
僕がよく、瞳孔ガンギマリやスピリチュアルな人間は嫌いと言っているのも似ている。
そういう人の多くは、必死になって、自分の価値観や正解を他人や社会に求めて押し付けている。
別にそういう人が僕の人生に影響や関係はないのだけど、相手にするだけ無駄な時間だから嫌いだ。そういう人を揶揄している。
話にならないから、相手にしない。
似ている。
いつまでも夢や妄想、勘違いをこじらせている人間。
夢を盲目に、言い続けているだけの人間。
口を開いたら、子供と同じ。
僕は介護をしているから思う。
認知症と同じ。
・
社会には一言では言えないことがある。
きっと色々な問題があって、その影響、シワ寄せ。
今から変えるには、多くの障害、壁があるのだと思う。
・
生活保護者は生活保護を見直すと言うと必死になって声を挙げる。
でも、生活保護費に国(社会)の金は使われている。
生活保護を受けていない人から見れば生活保護に異議を唱える。
病院だって、経営者や当事者でなければ分からないことがある。
今に至るまで見逃されていることがある。
高齢者で待合室が一杯。必要以上の薬を貰い、その負担額が一割。
それを見直すと言うと、当事者たちは声を荒げる。
病院も、儲からなくなるような事は断固拒否する。
必要ではない事に金が流れている事が問題なのに、その前には、そこで生活している人間たちがいる。
だから簡単には変えられない。
それを利権と呼ぶなら、社会にあるほとんどの事に利権がある。
それが分からない人間が、やれ利権だ、汚職だと言う。
自分達は違うと思っているだけで、自分達がしている仕事の中にも利権や暗黙の了解で見逃されていることがある事には都合よく目を反らしている。
他人には
「(金を)安くしろ」
一円でも値切ってくる。
僕はいつも即答。
お前の旦那も子供も親も、タダで働けよ。
お前も、無償やボランティアで働けよ。
お前も客に請求する金額を値上げするなよ。
最近だと、物価が上がった、モノの値段が高いと言うけど、お前がしている仕事の金額は上がってないのかよ。値上げしてないんだな。絶対にするなよ。
僕はそうして怒る。
昔、僕の大事な友達に
「不動産の仕事は必要ないと思う」
と言われて未だにモヤモヤ、思い出しても苛つく時が正直今でもある。
だけど、確かにと思う部分もある。
金が無い奴は大家なり、直接行け。
契約書もネットで拾ってコピペして後で地獄を見ろ。
金も知能も無い奴は、そうやってクタバレ。
でも、金やちょっと考える力がある人は、あまり、そんな事は言わないでくれと思う。
・・
誰も、本当に必要な人たちに対して意義や指摘をしているのではないのに。
そこを指摘されたくない、見直しをされると困る人たちが騒ぐ。
僕も似ている、近い所があるのだと思う。
だから必要以上には感情を使わないように考えている。
・
ちなみに昔、知り合いの外国の人がいて。
その人も、まったく頓珍漢な事をいつも言っていた。
必死になって、社会をよくするため私は言っている!と酒に酔っているのか異文化の地で精神的に不安定なのか知らないけど、お前が知らないだけで、住民も政治も必死になってきた事を知らない奴が何を言う。
あなたは知らないかもしれないがと突き詰めたら
「そんな事は知らない!」
と言う。
それは、私は知らないけど、私はこう思う!という事。
私は知らないから、知らないけど、知っているように私は喋っています、という事に気が付かない、理解出来ないのだと思う。
そんな馬鹿の相手は出来ないと思って、苦笑いをして流した事を思い出す。
そういうのが、こういうのが共生しているのが僕らの日常生活。
有象無象、蠢いているのが人間の社会。
一言で片付くはずがない。
一つの正解や答えが正しい訳でも無い。
・・
・・
牛乳を買いに行く。
何を買おうか選んだ時、
母親の言動が見えた、頭をよぎったので、いらついて買うのを止めた。
こういう事が毒親の解毒で語られている、親を見限り捨てる事が大事と言われる部分だと思った。
・・
じいちゃんが、何でも準備や用意し過ぎているから弱いのだ。
僕も爺ちゃんも、自分が食べたいものを自分で用意する。
自分が食べたいように食べたいものを用意する。
それを他人に求めない。
いや、違うな。僕は求めている。
僕が頑張って今は何とかするから、あなたはこれをして欲しい。
そう言って、僕も責任を背負った。
それを「見返り」だの、「間違っている」と言う奴がいる。
だから、僕は苦しんでいるだけの今。
・
僕がいつかその時が来たら、人は同じように言うのだろう。
だから僕はもし、その時になってしまったら
「僕は自分がした事は悪い事だとは思わない」
と公言しようと決めている。
僕がした事は悪い事、でも、僕をそうさせた原因について、僕は意思を投げる。
だから、今もこういう状態なんだと思う。
・・
死ねなくなる。
死ぬ理由がない現実を、自分で気が付かなければ、それは出来ない。
それは、自分がこうしたい、こうなりたい。そんな欲が非現実である事を、理解して受け入れられないから苛立つ。
叶わない自分の希望に怒り、癇癪。
あるいは地団駄。
そして、どうしようもない事はどうしようもない。
だから、死にたいと言うしかないのだと思う。
確かに、自分の夢や理想が叶わない事は辛いと思う。
僕も死ぬほど解ると言いたい。
でも、そんなことがまかり通るなら、人間全員が自分の夢や理想、希望、願望が必ず叶わなう事になる。
非現実な事でも、非常識な事でも。
そんなことがあり得て、その言い分が正しく、誰から見ても納得理解されると思っている?
でも、地団駄踏みたいよね。
癇癪起こして、泣き叫びたいよね。
辛いから、ラリって、ラリラリメンヘラ仲間とお互いに馴れ合いたいよね。楽だし。
・・
・・
ネットで拾った言葉。 以下、それと僕の感想。
「人は一人では生きていけない」
〇本来の解釈
人は虚空の世界(自然と霊)と助け合って生きるのが人間の道であることを示す。対象が社会や人間ではない。
〇捻じ曲げられた解釈
社会生活において互いに助け合って生きるのが人間の道であることを示す。対象が社会と人間。
本来の意味はそうでも、それは論点のすり替えみたいなものだと思う。
言葉が間違っているのはそうかもしれない。けど、その言葉を言われた人間は、社会性が無い、間違った行為をして、その言葉を言われているのだ。
その言葉が使われる場面は、問題を起こす人間に対して言われている場合が多いのだと僕は思う。
だから、正しい答えの説明より、人間の道を外した、社会性が著しく欠落した人間に教える意味では言葉は間違っていない。
・・
・・
ここ二、三日の話。それだけでも纏まらない日記になった。
みんな、色々ある。みんな大変な中で毎日生きているのだと思う。
だから、僕は今は変わったけど、大丈夫だけど、大丈夫。
いつか逢いましょう、いつか会いたいと思う。
御縁と言い続ける僕は今でも変わらない。
でも、そうやっていつか人間は必ず死にますか、有限な人生の中で、割り振る力をこれ以上間違えないように生きようと必死で考えます。
・・
話が纏まらなくなってきた。
この日記は追記していきます。
誰かに向けて書いていないのですが、自分の中で、この話について延々と考えるのも嫌だから、日記にします。
「そう言う事もあるよね」「そう言うもんだよね」
と言ってしまうと忘れてしまうので、形にしておきます。
でも、この
こういう人、こういう連中を散々見てきた僕だから、こういう人間がどうなっていくのか、末路を少しは理解できるのだと思っています。
・
最近、仕事についても考えを改めている。
客を選ぶ、必要以上に頭を下げる必要はない、そうしなければ成り立たない仕事であればいつか廃れる、そしてそれが僕で言えば今。
不動産も、非常識とは言わない、いつの時代もいる無知で馬鹿な人間が、インターネットの嘘か誠か分からない無責任な情報を鵜呑みにして、無茶苦茶な事を言ってくる時代だ。
そんな事を平気でするのが人間だ。
一定のレベルに至らない人間を相手にする商売は僕には向いていないのかもしれない。
・
僕は少し足りない、至らない層を相手にしてきた部分がある。
僕がダメな奴(人間)だから、ダメな奴(人間)の考えそうなことが予測が出来る。だから、そこは上手くやって金に変えれていた。
仕事に出来ていた部分もある。
でも、これからは馬鹿を相手にして、自分の懐や生活を痛める事は僕は極力しないようにしたい。
自分が、社会の中で中庸に、人間らしく考えて、共存共生して生きていく道では、不動産も、終活も、僕には仕事として合っていない気がする。
・
米が高いと言う。スーパーに行って考えた。
確かに値段は上がったけど、一食、いくらだ?
でも、高い安いと文句を言っても買う。
客は自然と、否が応でも、何も考えても考えなくても買い物をする。
飯を食う。絶対に買い物に来る。
そういう仕事が僕は良い。
必要以上に頭も下げない、間違った身銭を切らない、血を流さない。
だから僕は感情や欲を扱う仕事が向いていたのだと思う。
・
・・
これが僕の人生。
運命はタイミングだと僕は言い続けている。
こういう生物たちとの関わった経験から、自分で決めて生きていく。
人間らしさって、綺麗ごとで考えるから辛く息苦しくなるのだと思う。
全員、病気。
そう思わないから、自分も他人にも間違った見方で苦しみあうのだと思う。
向井君も言ってた。
はいから狂い、だって。