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渚にて a
エピローグに続く。プロローグに続く。
人間は平等じゃない。
産まれた時には運命みたいなもの、その選択肢は概ね決まりかけている。
それは遺伝や環境、才能と境遇などの影響を受けて形成されている。
本人の努力によって変えられない現実と、本人や周囲の想いを織り交ぜながら全員が生きている。期待は裏切り合うもので、希望的観測は過ぎると残酷と言った言葉に差し代わる。
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「遺伝」について、今は遺伝子、DNAを調べることが出来るらしくて。
そこには人間としての特徴や気質など様々な因子が書かれているそうです。
両親の遺伝子を知ることで、子供の遺伝子を調べることが出来るらしい。
そんなこと今では誰でも知っているとは思うけど、自分の子供にグレーな問題があったとして。
そこで遺伝子を調べたり、考えたり、両親の個性や気質や癖から冷静に見直して改めることが出来る人なんて今の時点でいるのだろうか。
そこまで理解したとして、それを受け入れて行動できる人はいるのだろうか。どうか生きるのが少しでも楽しくなれる人生や世界を希望、望みます。
※希望的観測とは、根拠や理にかなった理由もなく「そうなって欲しい」という希望に影響されてものごとを判断してしまうことです。
論理的な根拠がなく、地に足のついた考え方ではなく。
それは確実性に欠ける観測でしかありません。
そして希望的観測を心理学的に説明するものの一つが「確証バイアス」です。「確証バイアス」とは、人が無意識に身の回りの膨大な情報の中から、自分に都合のいい情報や先入観を裏付けてくれるような情報だけを取り入れて、そうではない情報は無意識的に排除する傾向があるものだそうです。
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そもそも生まれた国が違えば生きていく価値観も全く違うものになります。
僕は日本の法律上は犯罪者でも前科者でもありません。
けれど、それが「人間としてどうなのか?」と問われたら、それはそれぞれその時の本人の主観(価値観)や、時世を反映させるしかないと思います。
僕はその点では自分を「人間らしい生き物」だと思っているし、今のこの社会から見れば少し変わっているのだと思う。
いつどこで、どのタイミングで出逢って、何がお互いに合って、どんな群像劇の中で僕らが生きていたのか。
だから、僕の事を「いい人」「良い子」「優しい」、「あいつに任せておけば何とかなる」「(フリーの)何でも屋みたいなもん」、「いや、あいつは悪い奴だよ」「変な奴だよ」「危ないって」。今では「孫みたいな子」「今時にはめずらしい子」。そうやって色んな人から色々言われるけど。
そうやって、人それぞれ僕への味方。
見え方は極端に違うものです。
そんな僕らを生きてきたのです。
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僕は死ぬまで片山みゆきを許さない。
それは一点も曇らせたくない。
恨み辛み憎しみそ全力で込めるしかない。
人間らしい理想と現実がここにもあるのだと思う。
波打ち際を、「渚とは」と説明する、あの映画のあの最後のセリフ。
僕は移り変わる風景や、人のそのそれを眺めながら、移り気で、手のひらを平気で平然と返すような人たちを眺めながら。僕は傷つきたくはないが、愛されるのなら、愛したい。愛されるなら、死んだっていい。
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「その12年と、どっちがいい?」
僕は僕の世界で一番素敵なお姫様の言葉を心から受けて息を吹き返した。
僕はその一言に突き付けられた優しさに慈悲に癒され未来をもらった。
囁きから夢見心地で一夜。僕は初めて、真剣に生きていく自分の未来を考えて眺めた。
それが、僕の中にある「死の理由」を今の僕から遠ざけたのは事実。
でも、それをただ眺めながら歩いている今日この頃。
こうなる事は解かっていた。
僕は あの日の夜は世界で一番幸せを、初めて知った瞬間だった。
でも僕は その先の事は黙っている。
僕は孤独に負けやすいし、自傷も傷も付きやすい付けやすい。
独りに落ち込み飲み込まれるから、君の残り香に「四季」を意識する。
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「notoを消したら?」と言われる時がある。
僕の応え、答えは消さない。
消したからと言って何かが良いように変わるなら消す。
けれど人間が考える事、人間がすることなんてのは悲しい。
残酷だとは言えないが、所詮は「どこまでいっても人間」なのだ。
その域は出ないし、そもそも、
みんな何か大きな今でも 勘違いをしているのだと思う。
僕らも、君も、君の家族も先生も僕の家族も先生も、愛する人も、嫌いなあいつも、みんな やることやってんだ。
共依存や神格化、美化したら、僕は思うの。
「転がり、のたうち回ってるだけの痛々しさだ」って。
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今でも時々「ツラい」人からメッセージが届きます。
けれど、何度も言うけれど。
僕は今それに応えられる人でもありません。
余裕や余力がある人間でもありません。
そんな僕は終わりを告げました。
今の僕は「良い人」でもなければ「優しい人」でもありません。
ツラい当人(本人)からすれば必死なのでしょう。
だから僕なんかにメッセージをしてくるのかもしれません。
でも、だからといって、その全部に返事もしませんし、
返す余力を今の僕は持っていないのです。
僕が死にかけた時。「助けて」「話をしよう(話を聞いて)」と叫んだ時。
僕との縁を切った人間は、きっと同じように自分の人生や生活に僕が悪害や影響を与えると思い、僕を無視したり、拒絶して切り捨てたのでしょう。
だから僕は今でもその人らを否定はするけど、攻撃はしません。
そして、僕は大切な人の声は聴き逃したくない。
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過去のノートは添削しました。とはいえ削除してしまうと意図も残らない。
色々と手を加えてみることで中身の熱量が弱まってしまった気がします。
何があったのか伝わらない日記になってしまったような気がしています。
でも誰にも読まれないのは悲しいもの。読んでもらったとしても伝わりもしない。理解もされないような文章がそのまま放置されていたら、それは本末転倒だと思うの。
僕の時間は限られているので、
その分を加味、計算して削除や修正しました。
新しい日記を増やさない為に。
これからは、もしかしたら過去の日記の中に、日付を書いた上で、今の僕の日記を新しい文章を書き添えると思います。
まだ直せていない日記や、修正も訂正も出来ていない未添削の日記に関しては、宝探しの最中。穏便に、許してくれたら幸いです。
そう思い、眺めています。
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エピローグみたいなものを書こうと思いながら時間が経って。
今こうしてパソコンに向き合うと、本当に何も書き残す気にならない。
頭が停止している訳じゃないけど、何もかもが「どうでもいいような」気になっている訳じゃないけど。
過ぎたるはなお及ばざるがごとし。
※行き過ぎたことややり過ぎたことは及ばない。正しい道には適っていない。物事の中庸を尊ぶべきであるということ。
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自分一人で生きている世界は、本当に悲しいような、虚しいような。
「傷つけるだけ」なのだなと思う。想った。
僕はこのまま、寂しさや悲しさみたいな虚しさに似た孤独のような日々の中で、君たちが何を思っているのか知らない解からないけれど、僕は一人で閉じこもりながら、旅に出る足を止めないよ。
君に会いたい。 君に逢いたい。
一緒に居たい。一緒に生きていたい。
さあ、おままごと。
夢見がちな少女。黒目がちな少女の僕らの日常。
物語は突然か 偶然か必然か 続く。
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僕は今は死ぬ気はないが、死ぬまでに「生きた証」を形に残したい。
他力本願ではなく、僕が未来に保険をかけるように、僕は遠いような近い未来。僕に少しでも力になってくれそうな人たちにお金を先に支払っている。
それでも、今まで僕が生きてきた世界や、想いや気持ち。
その宝物が無くなってしまうことが悲しくて。
でも、形あるものはいつかは消えてしまうものです。
自分の中では大切な大切な存在やモノでも、
相手からしたら、他人から見れば、ただのモノ。
何てことはない、ただただ、どこにでもありそうな、普通にありそうな「ゴミ」とは言わずとも、至極、ありふれたモノなのです。
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僕が死んだら忘れて欲しい。
今までの僕は「忘れないで」と泣き叫んでいたような気がする。
死ぬこと、死んでしまう事と、忘れてしまう事、忘れられてしまう事がイコールのような位置にあったと振り返る。
でも今の僕は
「僕が死んだら、僕を好きじゃない人はすぐに忘れて欲しい」
と、そう言いたいのです。
僕を愛してくれた人は、大切にして想ってくれていた人は覚えていて欲しい。いつまでも忘れずにいてくれたら嬉しい。
けど僕の事なんてどうでもよかった人には、さっさと忘れてくれと思う。
名前も顔も、記憶から完全に抹消して去って欲しい。
そんな心境の変化を
「例えば僕が死んだら」と謡ってみる。
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人間の闇や傷みたいなもの。
人が抱える、君が抱えている
その血だまり。流れている血みたいなもの。
君のそれすらも、僕は愛おしく大切に思いたい。
君の心臓も抱きしめたい。
夏の日と電話。(2022年7月17日)
どこかから花火の音がする。夏の切なさはこの花火の音が鳴った時から始まる気がする。連絡が欲しい相手からは連絡はない。きっとこれで良いのだと思っているのだろう。僕も薄々気が付いている。これが日常なのだ、これが現実なのだと。虚しく間抜けな夏が今年も終わる。僕の20歳からの夏は毎年が間抜けなものだった。鳴らない電話を、連絡もくれない相手を延々と。永遠と待ち続けるだけで夏が終わってきた。
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