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【遺書日報_セカンドシーズン】2021年2月26日

こんばんは。今日も書きます。


昨日、子どもの時の言動について、もう少し深掘ってみたいと書いてしまいました。書けるか分かりません。

子どもの時の言動に向き合うということは、子どもの時の暴力性に向き合わなければいけないので、かなり自分にとって苦痛です。胸に秘めておきたいなぁと思うことについても書かざるを得ないからです。



私は幼稚園から小学校5年生頃まで、おそらく先生によく怒られていました。母にはもっとよく怒られていました。

でも、めちゃくちゃ気も我も強い子どもだったので、「できない私が悪いんだ」としおらしく反省することは滅多にありませんでした。いつも死ぬほどはらわた煮えくりかえりながら「ごめんなさい」をしていました。絶対「ごめんなさい」と1mmも思っていないのに、表面的に「ごめんなさい」をするので、より大人から反感を買っていたような気がします。

私は高校3年生の前後くらいまで、先生として身近に接してくれる大人のことが大体ちょっと嫌いでしたが、特に幼稚園の先生が一番嫌いだったような気がします。


衝動的な行動が多く、事の大小問わず問題ばかり起こしていた子どものくせに、全くハートブレイクしなかったので、大人からは(たぶん)目を付けられていましたが、子ども社会ではすんなり生きていけました。

モノをはっきり言うし、やりたいことしかやらないし、空気も読まないので、クラスにおいて強権的な集団というものがあることすら分かっていませんでした。クラス替えも席替えもワクワクする行事で、怖いと思ったことはありませんでした。新しいクラスに親しい子がいなくても、自分からガンガン声をかけていたので、ひとりぼっちになることもありませんでした、たぶん。



私は暴力と親和性が高かったのだと思います。

幼稚園や小学校で頻発していた同級生との喧嘩は、私にとって祭りでした。ある種楽しい出来事でした。

また、小学校4年生前後くらいまで、家でよく癇癪を起していました。学校よりも家にストレスを多く感じていました。が、家のことはまた別の機会に。



良くも悪くも低年齢の子どもたちが集まる社会では、言葉以上に暴力が強い影響を持つのかもしれません。私は自身の暴力性を、子ども社会で存分に発揮していたのだと思います。

幼少期にいじめられた記憶がありません。幼稚園の年長さんの時、女子3人に囲まれて「○○ちゃんと遊ぶな」と命令されたことがありますが、何かしらの暴言を吐いて命令を無視しました。よく知らん女子3人からどう思われようと知ったことではないし、○○ちゃんと遊びたいから遊ぶのです。○○ちゃんともう遊びたくないと私が思わない限り、私は○○ちゃんと遊びます。囲まれたのはその1回きりでした。



もちろん、子どもの時の心情をそっくりそのまま覚えているわけではないので、大人になった私が【子どもの時の経験】に意味づけを行っているに過ぎません。あ~~~~~、5歳の時の私の気持ちの揺れ動きが何かしらの形で保存されていれば、比較検討ができるのに!!!!口惜しい。

ただ、この遺書日報によって、20代の自分が【子どもの時の経験】にどのような意味づけを行ったかは記録できます。明日、明後日、一か月後、一年後、十年後には全く違った意味を見出しているかもしれません。どのような意味づけを行ったか記録することで、意味づけ方の比較検討ができます。面白い。



話が逸れてしまいましたが、とにかく私は「強かった」のだと思います。ルールをきちんと守る子や、他人のおもちゃを取らない子や、人前に出るのを恥ずかしがる子の気持ちが分かりませんでした。

他人の迷惑を考慮することができなかったので、他の子の持ち物を壊してはいけないなどのごくごく当然のことも分かっていませんでした。


幼稚園の年中さんの頃、私と、私と同じくらいやんちゃな子と、気立ての優しい子の3人でつるんでいた時期があります。私は、やんちゃな子のことも気立ての優しい子のことも、2人とも好きでした。でも、割を食っていたのはいつも気立ての優しい子だったように感じます。

私とやんちゃな子が、気立ての優しい子のしゃべり方などを真似してからかうことがありました。気立ての優しい子は「やめてよ~」と言っていました。言い方が優しいだけで、本当はとても嫌がっていたのかもしれないと、大人になってから思い返して後悔しています。


また、気立ての優しい子の家に遊びに行ったとき、その子の家のものを壊した挙句にトイレを詰まらせて、本当に最悪の所業を働きました。一生出禁です。

おそらく4, 5歳の時の出来事ですが、自分にとっては、やはりずっと後悔の残る出来事です。


これ以外にも他人の物を壊す事件は複数回ありました。

自分の家のふすまに積み木をぶつけて破くなどなどの破壊活動を日々行っていたので、もしかしたら幼少期は物の形が変わることに面白さを感じていたのかもしれません。善悪の判断以上に好奇心に突き動かされていました。



しかし、特定の誰かを傷つける意図はなかったとしても、私の言動で傷ついていた子は確実にいたと思います。私の意図云々とは無関係に、傷ついた子どもたちの救済はなされるべきだと思っていますし、理由はどうあれ私は他人を傷つけたことを重く受け止めて罰せられるべきだと思っています。

と、これを今書いたところで、どうにもならないむずがゆさもあります。起こしてしまったことは、無かったことにはできません。



自分の中にある好奇心や、ありあまる行動力との向き合い方が分かっていれば、傷つく人は減らせたかもしれないと悔やんでいます。



暴力性は自分を守る術にもなりますが、他人を深く傷つける凶器にもなりうるということを、遺書日報を書くことで改めて考えました。


これにて本日の日報は終わりです。

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